2017.11.21(火)
志摩子を光が包んだ。
志摩子は光に包まれた。
廊下の薄闇に慣れた志摩子の目には、室内の光は圧倒的な明るさだった。
その明るさは、物理的な圧力を伴っているように志摩子には感じられた。
志摩子は……。
志摩子の脳裡を、ここまで、祇園からこの嵯峨野の踊熊庵(ようゆうあん)まで辿(たど)ってきた道のりが、フラッシュバックのように行き過ぎた。
祇園の今朝の雪。
道代とともに聞いた、聞かされた衿替えの話。
(あん時は……嬉しかったなあ)
今夜の座敷は嵯峨野、と言い渡した女将の辰己とし。
電車で行くと言い張り、女将を困惑させた。
(なんでうち〔なぜ、私〕、あないに意固地ん〔に〕なったんやろ)
道代と秀男を引き連れて置屋を出た。
(雪はもう……ほとんど消えとったなあ)
京都市電の祇園停留所。
(せや、上七軒のぽん太に会〔お〕うたんやった)
市電、国鉄の車内、流れ過ぎる車窓の眺め。
降り立った国鉄の嵯峨駅、辿(たど)る竹林の道。
(祇園の空は明るかった)
(列車の窓も明るかった)
(けど……)
(竹の……)
(竹林、やったかいな)
(いっぺんに暗〔くろ〕なって……)
(そういや、なんやお道がおかしなって……)
野宮(ののみや)神社。
(あの、神社はん……)
(秀はんに、色々聞かせてもろたなあ)
踏み込む竹林。
(ますます、暗〔くろ〕なって……)
(ほんで〔それで〕この……ようゆうあん〔踊熊庵〕、やったかいな)
(けったいな〔奇妙な〕名前や)
(秀はん、いてまいはって〔行っておしまいになって〕……)
(入ったら……)
(ほとんど真っ暗やん)
(ほんで)
(ほんで……)
ここまでの道、先に進むほどに暗くなる道程だった。
その、いわば暗さに慣れ切った志摩子の目に、室内の明るさは圧倒的だった。我が身を押し潰すかとも見えた。
一歩室内に踏み込んだまま、眩しさに目を細め、志摩子は正面を見た。板戸か、障子戸か……正面は同じ意匠の戸ですべて閉(た)て切られている。
志摩子は首を左右に軽く振った。
右手は屏風(びょうぶ)を立ててあり、その奥は覗けない。屏風は※六曲一双……。
※6枚のパネルを繋げた、一般的な屏風の型式
繋ぎ目(折り目)は5か所になる。
志摩子は左手に目を遣った。床の間である。
床の間の側から声が掛かった。
「来たか」
志摩子は着衣の袖と裾を捌き、慌ててその場に座った。むろん正座。袖と裾と、だらりの帯が畳に絹の海を作る。
左右の手を揃え、指先を畳に突いた。
「※おおきにー おたの、申しますう」
※京舞妓・芸妓の挨拶の決まり文句
有難う、よろしく、ほどの意味
手は突いたまま、軽く頭を上げた志摩子は、左手を見遣った。
床の間の前には、相馬の旦さん、西陣の相馬禮次郎が座していた。相馬は和装、座は座椅子に脇息。が。相馬禮次郎は脇息に凭(もた)れることなく、端然と、こちらも正(せい)に座していた。
「まあ、とりあえずこっち、おいなはれ(来なさい)」
瞬時の間を置き、志摩子は答えた。
「へえ」
立ち上がり、志摩子は相馬に歩み寄る。数歩離れて座した志摩子は改めて手を突き、相馬禮次郎に頭を下げた。
「ご無沙汰しとりますう、旦さん」
「久しいのう、小まめ、貴船以来か」
「へえ」
「女将から聞いたが、あんときゃ大変やったそやのう」
女将とは、志摩子の所属する置屋の女将、辰己としの事。大変とは、雪の山中で立ち往生した事件を言っているのだろう。
「あ、へえ……」
志摩子は、道代と案内の男が部屋に入って来るのを目の隅で捉えた。二人は、ひっそりと部屋の隅に座す。
この苫屋、踊熊庵(ようゆうあん)には控えの間などないのだろうか。志摩子には、この庵の規模や構造がよく呑み込めなかった。
(外はボロいのに……)
(中は豪華やし……)
(広いんか狭いんか、ようわからんし……)
(部屋、ここ一つだけなんやろか……)
ぼんやりと考え込む志摩子に、相馬禮次郎の声が掛かった。
「とりあえず、一杯やんなはれ」
相馬は、杯を摘まんだ手を志摩子に突き出していた。
志摩子は立ち上がり、更に数歩歩み寄る。
相馬の脇に座した志摩子は、相馬の手の杯にではなく、相馬の前の膳の上、徳利に手を伸ばした。
「気い付きまへんですんまへん、どうぞ、旦さん」
相馬禮次郎は無言、手の杯をそのままに志摩子の酌を受けた。一口で飲み乾す。改めて、志摩子に杯を突き出す相馬であった。
「おおきにー」
受けた志摩子は、こちらも軽く杯を空けた。
「はい、旦さん、ご返杯」
「うむ」
受けた相馬は、杯をそのまま膳に置いた。
志摩子は、手にした徳利を手にしたまま、いつでも酌の出来る態勢である。
「どないや、ここまで、迷わんと来れたか」
「あ、へえ、秀はん……うっとこの爺やはんが付いて来てくれましたさかいに(くれましたから)」
「ふむ、おまはん、嵯峨野は初めてかいな」
「へえ、生まれて初めてどす、名前だけは聞いとりましたけんど」
「ふむ、どないや、感想は」
「へえ、そうどすなあ……」
言葉を探す志摩子。
相馬禮次郎が先回りした。
「ということは……あんましええ印象やなかったか」
「いえ、そないなこと……野宮(ののみや)神社はんも見してもらいましたし」
「ほう、野宮に寄ってきたか」
杯を取り上げ、飲み乾した禮次郎はそのまま志摩子に突き出した。
酌をしながら答える志摩子。
「へえ、見してもらいました」
「どないやった、野宮、感想は」
「へえ、あんまし大きゅうはおへんけんど……由緒ある、言いますか……色々お話も聞かせてもらいました」
「ちゅうこと(と言うこと)は……斎王の話も出たか」
「あ、へえ」
「ふむ、どないや、感想は」
「そうですなあ、なんや……」
再び言葉を探す志摩子に、相馬は手の杯を突き出した。無言で杯を手渡す。
手の徳利を膳に置き、杯を受け取る志摩子。
相馬に注がれた酒を受けながら、志摩子は呟くように答えた。
「斎王はん……なんや、酷(むご)いお話やなあ、思いました」
「酷い、か……おなご(女子)らしい感想やのう」
「すんまへん」
相馬禮次郎は軽く仰のいた。笑っているようである。
「謝ることやないけんどな」
「へえ」
志摩子は杯を干し、相馬に返した。徳利を取り上げ酒を注ぐ。
「あれはのう」
「へえ」
「斎王ちゅうのん(というの)は……なんぼ綺麗ごと言うても、いわば人身御供(ひとみごくう)や」
「ひとみ……」
「せや、神への供物や」
「くもつ……」
「せや(そうだ)。この女、どうぞお上がりやす(お食べください)、そんかわり(その代わり)この国、ちゃんと(しっかり)守っとくれやっしゃ……」
志摩子の背筋を、冷たいものが流れた。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2017/11/21 14:59
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ついに登場
相馬の旦さん。
初出は『アイリス』#109。
なんと100回以上も前に登場でしたが名前のみ。ようやくご本人に対面と相成りました。
相馬禮次郎
この旦那がある意味、物語のキーパーソン。あやめを「殺したい」ほどの「志摩子の恨み」を作った人物です。
いったい、志摩子・禮次郎に何が……。
と申しましても、この話の流れでは、志摩子が禮次郎への「供物」だというのはバレバレですね。
次回以降を乞う!ご期待。
〔恨み晴らさで置くべきかあ~HQ〕
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2. Mikiko- 2017/11/21 19:49
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ほー
そんなことバラしてもいいんですか。
わたしは、まったく気づきませんでした。
ま、それがあやめとどう繋がるのかという謎は残りますが。
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3. ハーレクイン- 2017/11/21 23:29
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>わたしは、まったく気づきませんでした
ほんまかーい。
ちょっと先走りましたか。
まあよろし。
実はもうひとひねりおます、踊熊庵(あー、書くのめんどくせえ)座敷の場。
どう展開しますか、作者にも読めません。
〔単語登録をしないHQ〕
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4. Mikiko- 2017/11/22 07:35
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踊熊庵
どうせ長引くんだから、単語登録しなせい。
ATOKだと、一旦“ようゆうあん”で変換キーを押し……(もちろん、「踊熊庵」とは表示されません)。
その後、その未確定文字をバックスペースで消してから“おどるくまあん”などで「踊熊庵」を確定すると……。
“「ようゆうあん」から「踊熊庵」に変換できるようにしますか?”と聞いてきます。
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5. ハーレクイン- 2017/11/22 09:26
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ようゆうあん
で変換キーを押したところ「踊熊庵」と出ました。
何もしていないんですがパソの野郎、自分で覚えよったようです。
〔これにて一件落着HQ〕
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6. Mikiko- 2017/11/22 19:43
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学習した単語を……
自動で登録してるんでしょうね。
これの難点は、1回こっきりしか使わないような単語まで登録されてしまうことです。
わたしは辞書が膨らむのが嫌なので、登録するか聞いてくれた方がありがたいです。
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7. ハーレクイン- 2017/11/22 20:59
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>登録するか聞いて……
くれたことありません。
辞書が膨らめば削除すればよろしい。
〔削除したこと無しHQ〕
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8. Mikiko- 2017/11/23 07:36
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恥ずかしい単語が……
自動登録されてる恐れがあります。
↓削除の仕方。
https://121ware.com/qasearch/1007/app/servlet/qadoc?QID=018094
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9. ハーレクイン- 2017/11/23 08:36
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恥ずかしい削除
今度試してみましょう。
以前のパソ(Win8……だったかな)では、辞書を気軽に開けたんだけど、今のは覗いた事すらありません。
まあしかし、わたしのパソを覗く人間もいないでしょうから(家人は近寄りもしません)恥ずかしいもへったくれもないんですが、今のパソ(Win10)がご臨終のときは、考えなあかんでしょうか。
〔恥の譜HQ〕
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10. Mikiko- 2017/11/23 12:28
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Win8を持ってたとは……
珍しいですね。
わたしは、「Vista」と「8」は触ったことがありません。
今使ってるのは、「7」と「10」です。
「XP」が、一番使いやすかったです。
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11. ハーレクイン- 2017/11/23 17:20
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だったかな
と書きましたように、そう言われると記憶は曖昧です。
「7」は……いや、これも……「XP」は間違いのないところ。
ということは、「XP」をバージョンアップして「10」ですかね(自分の事やろが)
〔去る者は日日に疎しHQ〕