2017.8.15(火)
「では、姫よ」
「あい」
「改めて問うのじゃが」
「あい」
笹津由は正面から恭子(のりこ)を見詰め声を掛けた。
恭子は背筋を伸ばし、姿勢を正してその言葉を受ける。
「姫が口吸い、為したくなき相手とは、如何なる者なりや」
「それは……」
「それは?」
「我にとりて、苦手な御方」
恭子は俯きつつ答えた。
「む」
「語り合いたく無き者」
恭子は顔を上げない。その声は次第にか細くなっていく。
「ふむ」
「座を共に、したく無き……」
恭子(のりこ)の声は、耳を澄まさないとよく聞き取れないほど小さくなった。
「要するに」
笹津由の声は逆に大きく、恭子を叱咤する色合いを帯びた。
「要するに、姫が嫌はるる相手、ということにありまするな」
恭子は、我が胸に顎先を埋めるかのように深く俯いた。辛うじて答えを返す。
「あ……い」
笹津由は、少し声を和らげた。その面(おもて)には、微かに笑みも浮かんでいる。
「どうされた、姫」
俯いた恭子の顔は上がらない。捗々(はかばか)しい返答も適わぬ様子である。
笹津由は、更に柔らかく声を掛けた。
「姫よ」
「……あ、い……」
恭子(のりこ)はようやく顔を上げた。その目の前に、笹津由の温顔があった。恭子は引かれる様に顔を寄せる。
笹津由の上下の唇が、誘(いざな)うがごとく軽く開く。
その唇に、恭子の唇は自然に近づいた。恭子は何の躊躇(ためら)いもなく、我が唇を笹津由の唇に触れた。触れ合う直前、恭子のその上下の唇は、これも自然に開いた。開いた自らの唇を更に割り、恭子の舌が這い出た。這い出た舌は、ついで笹津由の両唇を割り開いた。
いや、笹津由が自ら大きく口を開いた。
恭子の舌は、笹津由の口内に迎え入れられた。
「ぶぶ」
固く合わさる互いの両唇の隙間から、喘ぎとも呻きともつかぬくぐもった音が漏れた。恭子と笹津由。いずれの漏らした音であるか、それは判然としない。二人同時に零した肉の音であったろうか。
恭子は舌を動かす。
先程の、我が口中での笹津由の舌の動き。その動きを思い出すかの様に、なぞる様に、恭子の舌は動く。
いや、思い出す必要なぞ無かった。笹津由の舌の動きは、恭子の舌に確(しか)と埋め込まれていた。肉の記憶であった。恭子は、我が肉の動きに身を委ねた。
笹津由の舌は、恭子の舌の動きに見事に合わせて動いた。シテとワキ。能楽の主役シテと、脇役のワキ。恭子の舌がシテならば、笹津由のそれはワキ。いや、いずれが主役か脇役か、それは判然としない。
二枚の舌、二つの肉塊は主脇一体となって舞台上で自在に動いた。舞台は笹津由の口内、演目は……。
「く、ふうううう」
これは、明らかに恭子(のりこ)の上げた嘆息であった。恭子は知らず、自ら舌を、唇を引いた。
「かはあああ」
恭子の顔が天を仰いだ。笹津由の唇から離れた恭子の唇は、息を求め大きく開く。その口元から糸を引く一筋の唾(つはき)。
「姫、よ……」
笹津由が片腕を伸べた。その手の先、指の先が、恭子の頬に軽く触れ、零れ落ちる恭子の唾(つはき)を掬い、留める。いや、その唾には、笹津由自らのものも含まれているであろう。笹津由は、唾に濡れた我が指先を口に運んだ。舐める。笹津由は、己が指の先を口に含む。喘ぐ恭子を見遣り乍(なが)ら、笹津由はその指に我が舌と唇を這わせた。
顔を戻した恭子は、笹津由のその振る舞いを、目を見開いて見詰めた。わが師笹津由の、普段の立ち居振る舞いには似つかわしくない仕草に、恭子は夢から覚めた、という風情で声を掛ける。
「ささ……」
「何かの、姫」
口から手指を放した笹津由は、何の動ずる風もなく、両の手を腹の前で組んだ。
「美味しゅうござりますか」
「美味じゃの。甘露、とはこのこと」
「わたくしには……」
わかりませぬ、と言いさした恭子(のりこ)を見遣る笹津由。それには答えず、逆に問い掛けた。
「どうじゃな、姫」
「どう、とは」
「我と為す口吸い、如何(いかが)かと問うておる」
「それは無論、心地よきに御座りまする」
「さようか」
「口吸いがかほど心地よきものとは、ついぞ知らぬことにおじゃりました」
「それはさもありましょうが、お嫌ではあらしゃらなんだか」
「嫌など、とんでもない、あまりの心地よさに息も止まろうかと……」
「それは重畳、ならば、我は姫に嫌われてはおらなんだと、こういうことじゃな」
恭子は、思いがけないことを言われた、そのような思いであったろうか。向きになって笹津由に言い募る。
「嫌うなど! とんでもなき事に御座ります」
笹津由は、そんな恭子を宥(なだ)める素振りか、軽く片手を上げた。
「分りおり申す、詮無き物言い、許されよ」
「あい……」
「して、姫よ」
笹津由は、軽く言葉を改めた。
「あい」
「先ほどの姫が問いへの答えじゃが」
「問い……」
「早(はや)お忘れか」
「…………」
「口吸いなる振る舞い、何のために為すや」
「おお」
「今はお分かりか、姫」
「それは……」
「む」
「好いた者どうしが」
「うむ」
「心地よさを求めて、にありまする」
笹津由は、暫時、言葉を止めた。が、僅かの間の後、続けた。
「左様……それはそうにおじゃるなあ。好いた者どうし、憎からず思う者どうし、互いに愛しむ者どうしの行う……その、相手を愛しむ思いがそのまま表れた、云わば『思いの証(あかし)』とでも申そうか」
恭子(のりこ)は深く頷(うなず)いた。
「愛しむ思いの証……」
「うむ」
「だからこそ、嫌う相手とは為さぬ事である、と」
「そうじゃのう」
「だからこそ……だからこそ、ささ、わが師よ」
「おう」
「我に口吸い、為して……お教え下された、と」
「さよう」
「師は、我を愛しんでおくれであると」
「何をいまさら姫、左様な事……」
自明のことに有ろうとは目で告げ、笹津由は軽く笑んだ。
応えて恭子は、満面に笑みを湛えた。正面から笹津由を見詰める。
放っておかばこちらに飛びついて来かねぬ、そのように感じたか、笹津由は師としての口調に変えた。
「姫よ」
「あい」
「話はまだ終わりにはありませぬぞ」
「……あい……」
「我らが今語り合(お)うておること、そもそもの初めは何でありしか」
「…………」
「いやいや、思い出さるるは無理か、と」
「……あい……」
「お教え差し上ぐる」
「あい」
さらに一呼吸を置き、笹津由は恭子(のりこ)に告げた。
「そもそもは、をのこ(男)とをみな(女)、如何(いか)にして子を成すや、にあり申した」
聞いて恭子は瞬時に応じた。
「あい!」
「しかしてそは、をのこ(男)の成す精の液、をみな(女)が作る卵、これらを合わするにあり申した」
「あい」
「さらに言わば、をのこ(男)の精の液を、をみな(女)が体内に注ぎ入るることで子は成さるるもの」
「……あい……」
「これより姫にお教えするは他に非ず、精の液を注ぎ入るる、その手立てである」
「…………」
「口吸いは、その手立ての一環でもある」
暫時、恭子(のりこ)は絶句した。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2017/08/15 10:24
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意地悪センセ
女官笹津由です。
言いづらいこと、答えづらいことを生徒恭子に無理やり言わせる。
苦慮する恭子。
まあ、これも皇女教育の一環なのでしょうか。
それはともかく、性教育の方は順調に進んでいるようで、恭子ちゃん。積極的に『口吸い』を求め始めました。恭子『春のめざめ』です。
しかし、口吸いは『愛しむ思いの証』。
読み返しまして、何をいまさらですが少々、いやかなり気恥ずかしくなります。よくこんな恥ずかしい文章を書けたもんだ、というところですが、まあこれは時の勢いというところでしょうか
ともあれ、笹津由センセの性教育。
いよいよ本番にとりかかるようです。
次回以降を乞う!ご期待。
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2. Mikiko- 2017/08/15 11:47
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ラブレターを……
夜、書いてはいけないと云われます。
こっ恥ずかしい文章を書いてしまいがちだからです。
小説も、同じなのかも知れません。
重要なのは、時間を置いてから、もう一度読み返すことです。
そのためには、早めに書き上げるということが必須です。
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3. ハーレクイン- 2017/08/16 01:01
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夜陰にまぎれ……
ついでに書いておきます
『まぐはひ(目合ひ)』
はむろん「エッチすること」で、この語もいずれ恭子に教えねばなりません。
で、今回はこれを「愛の証」とでも書こうとしたのです。ないしは「愛の行ひ」と。
問題はこの『愛』。
今回の「愛しむ」や、例の「愛づ」など、動詞は辞書にあるのですが、直截に、名詞としての『愛』。これは当時あったのでしょうかね。使われていたのでしょうか。
あったとして、そのニュアンスは現在と同じだったのでしょうか。まあ、現在でも様々なニュアンスで用いられるわけですが。
『愛』
もし使用可能なのであれば、今回はもう少しあっさりと書けたかも。
で、もっと恥ずかしかったちんちんかもかも。
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4. Mikiko- 2017/08/16 07:34
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愛、それは……
「愛(あや)し」と読むんじゃなかったかと思いましたが……。
ネットの古語辞典には載ってないようです。
JR東日本の仙山線に『愛子(あやし)』という駅があります。
この記憶だったんですかね?
「愛」は、直江兼続のころにあったことは確かでしょう。
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5. ハーレクイン- 2017/08/16 12:37
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愛は「あやし」
怪しい、ですかね。
それとも妖しい?
愛子(あやし)駅
どこじゃーい、で鉄道地図を見ます。
まず仙山(仙山線)線。
東北ですね、JR東日本。
起点駅:仙台駅
終点駅:羽前千歳駅(山形県山形市)
いわゆる“肋骨線”ですね。
起終点を含む駅数18
軌間:1067㎜
全線単線全線電化。
最大勾配33‰(けっこうきついよ)
で愛子駅は、仙山線の起点、仙台駅から8駅目。仙台市青葉区愛子にあります。わたしの鉄道地図(1973年版)では3駅目になってます。市街開発が進んだんでしょうねえ、仙台。
直江兼続
大河ドラマ、えーと、何だっけタイトル。
とびとびにしか見ていないんで、「愛」の由来はよくわかりません。
>愛、それは……
宝塚。ベルばらですか。
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6. Mikiko- 2017/08/16 19:45
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『愛子駅』
皇太子殿下のご長女のお名前が「愛子」さまと決まった日には……。
入場券が、1,000枚売れたそうです。
結局、その日を含む5日間で、33,200枚売れたとか。
現在の入場券の料金は、140円。
4,648,000円になります。
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7. ハーレクイン- 2017/08/17 01:06
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たかが入場券
されど入場券、てとこでしょうか。
しかし、↑これの元ネタをご存知の方はもはや少ないかな。
まあ、野球関係者なら……。
それはともかく、4,648,000円(こういう時は500万弱、でいいんだよなあ)の経済効果ねえ。
よく売り切れなかったねえ、切符(入場券は切符とは云わんか)。まあ、今は自動券売機なんでしょうけど。
前コメ、
仙山(仙山線)線→仙山(せんざん)線
です。
も、むちゃくちゃですな。
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8. Mikiko- 2017/08/17 07:21
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500万弱
そんないい加減なことでは、経理は務まりません。
入場券は、券売機で買うのでは?
あれって、機械の中で印刷するんですよね?
用紙とインクだけ補充すれば、無限に発券できると思います。
自分のコメを読み直すとは大したものです。
ヒマの成せるわざでしょうが。
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9. ハーレクイン- 2017/08/17 08:26
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券売機
問題は、仙山線というローカル線に設置されているかどうかです。
調べましたところちゃんとありました、券売機。で、何とみどりの窓口まで!
ひょっとして無人駅?とも思ってました。
しっつれいしました、あん(久しぶりだな、これ)。
>ヒマのなせるわざ
では、なーい!
コメにだって「話の流れ」はあります。
前コメを確認せずして書けぬではないか。
よって件の如し。
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10. Mikiko- 2017/08/17 20:00
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わたしは確認しません
なぜなら、記憶というものがあるからです。
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11. ハーレクイン- 2017/08/17 20:55
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認知症の検査に……
記憶力のチェック、という項目があります。
話はそれだけ。どんとはらい。