2017.3.16(木)
お竜一家代貸は帳場の上でその因業な顔をさらに歪めた。
「何も無しで助けてくださいとおっしゃっても、うちじゃどうすることも出来ませんねえ」
「お願いします。こちらのお手伝いでも何でもやりますから、どうか建替をお願いしたいのです」
あまり見栄えのしない装いではあったが、三十路に差し掛かった品の良い女が頭を下げている。
物はいいが年月を経た古着を着て、後ろで束ねていた浪人の髪をやっと髷に結った陣内伊織は、単身若の居所を探りに一家に乗り込んでいたのである。
「そう言われても、あっしらも商いで飯を食ってますんでねえ……。なにか用立てに役立つものがないと……」
「ですから、こちらのお手伝いを何なりとと申し上げているのですが……」
「ここの手伝いなんざ裏の婆さんで事足りるんでさあ……。もっとも奥さまみたいにおきれいな方なら、お気持ち次第でもっと稼げる仕事をご紹介出来るんですがね」
代貸しは強面に意味深な笑みを浮かべた。
「と申しますと……?」
「なあに、きれいな着物を着て、ちょっと野郎に笑っていただければいいんでさあ」
伊織はその顔を険しくした。
「無礼な。そのようなことを」
「じゃあ仕方がねえ、帰っていただきましょう。何でもするって言うから教えてやったのに、うちじゃあ面倒みきれませんね」
代貸しは唇を曲げて伊織の顔を睨んだ。
「お願いです。ほ、他に何か、掃除でも飯炊きでも……」
「しつこいねえ、駄目だったら駄目なんだよ! おい、お客様のお帰りだ、表へご案内しな」
若い者が二三人伊織に駆け寄ると、両側からその手を掴む。
その時、廊下の奥から女の声がかかった。
「もう、うるさいねえ。何を騒いでんだい!」
帳場の大きな声を聞いて、奥から一家を束ねるお竜が姿を現した。
途端に腰を低くした代貸がお竜に答える。
「い、いえ、このお方が建替をお望みなんですがね。何も担保がない上に、掃除飯炊きだけじゃあ話にもならないんで帰ってもらおうと……」
「ふうん……」
そう返事をして、お竜の気だるそうな眼差しが伊織に向けられる。
すると何故か伊織の方に向き直ったお竜の瞳が輝いた。
「おい何してんだ。早く連れて行け」
改めて代貸が若い衆を急かせた時……。
「まちな!」
鋭い一喝に若い者の動きが止まる。
「お前たち、よくお話も聞かないうちに失礼なことをするんじゃないよ」
「親分、話しならもうあっしが聞いたんですけどねえ……」
情けない顔に変わった代貸は親分にそう告げた。
「お前は黙ってな! お前じゃこの奥様の都合が分かるもんかい」
目をつぶって首をすくめた代貸しから、お竜は伊織に顔を向ける。
「あなたのような奥さまがうちなんかにおいでになるには、きっと余程の訳がおありなんでしょう」
優しいまなざしを向けられた伊織は、じっとお竜の顔を見つめた。
「うちの者が失礼を致しました。あたしが改めて奥でお話をうかがいましょう。さあこちらへどうぞ」
「そ、それはありがとうございます」
伊織の顔が輝いた。
代貸しはお竜の耳元に顔を近づける。
「親分、こないだも一人雇ったじゃないですか。そう続けちゃあ……」
「汚い顔を近づけるんじゃないよ。さあ奥さま、どうぞこちらへ……」
再び代貸しを睨みつけた後、えびす顔のお竜は伊織を連れて奥へと姿を消した。
「そうですか旦那様がそんなことに……」
お竜はうなだれた様子の伊織を見つめながら呟いた。
「お名前はなんとおっしゃるんで?」
「名前は……どうか私の名だけで許してください。私の名は、菊といいます」
「菊様……。う~ん、まあ、いいでしょう」
伊織はお竜に考える暇を与えず口を開いた。
「御台所調達の金子を盗まれたとあっては、これはもう調達役の落ち度。保管場所は役目内のものにしか知らされていないゆえ、身内の不祥事かともおっしゃっておられましたが、事ここに至っては世話役の旦那様の不手際に……。おそらく三日内ほどで都合出来なければこの一件は明るみに出てしまうかと……」
口上を済ませると、伊織は俯いたまま口を閉じた。
「ふうん……、あたしらにゃよく分かりませんが、悪くすれば旦那様は切腹……?」
伊織はすすり泣きの声を漏らす。
「うう……もしそのような事になれば、私はともかく残された子が不憫で……」
その様子をじっと見つめていたお竜は、やがて背筋を伸ばして膝を叩いた。
「分かりました。なんとかお役にたちましょう」
「え! ほ、本当ですか!!」
伊織はその細面を輝かせた。
「でもね菊様、代貸も申しました通り旦那様の名前もお聞かせ願えなければ、何か建替の代わりの物がないとねえ……」
「そ、それが……うちにはそんな大金に代わるものなど………」
眉を寄せた伊織を見つめるお竜の瞳が輝きを増す。
「菊様……、あたしゃ普段こんな仏心は起こさないんだけど、なんだったら菊様が代わりでもいいんですよ……」
「え……?」
怪訝な表情を浮かべながら、案の定食い付いた相手の顔を伊織はじっと見た。
だが一家に入り込む手立てにはなっても、やはりお竜に身を任せてしまうのには抵抗があるのも確かなのである。
“ね、伊織様。若様を助けたいお気持ちはあたしだってよく分かります。でもそんな悪党に伊織様が汚されることにでもなったら、あたしは身が切られるよう……。お願いだから、くれぐれも無理はしないでおくんなさいね……”
すがるような眼差しで送り出したお蝶の顔が、伊織の脳裏によみがえった。
「先ほどそれはお断りしたはず……。身を売るなど旦那様に申し訳が立ちません」
「代貸が言うように、誰にでもと申し上げちゃいませんよ」
お竜の顔に淫靡な微笑みが浮かぶ。
「菊様のようなおきれいな奥方と仲良くするのは初めて。どうです? ……あたしだけに、その肌を許しちゃくれませんか……?」
やはりと胸の内で溜息をつきながら、伊織は仕方なく驚いた顔をお竜に向けた。
「そのようなことはとても……。書ものや家事なら何でも言う通りに……、でもどうかそれだけは……」
「へえ~?」
お竜は不機嫌そうに顔を歪めて、俯いた伊織の顔をのぞき込んだ。
「そんな事をおっしゃって。奥さまは本当にお家や旦那様の事を案じてらっしゃるんですかねえ……」
「え……? ど、どういうことです、それは……」
伏し目がちに口を開いた伊織にお竜はしたり顔で答える。
「まだ十五六の田舎娘だって、家のためには健気に身体を張るんですよう。失礼ですがお楽しみの後にお子まで授かった奥さまが、そんな覚悟もお出来にならないようでは少々考えが甘もうはござんせんか?」
「そ、そんな! 楽しみだなどと……」
「まあ、奥さまの様な上品な奥方様は神妙に、そう、かしこまっておみ足をお開きになったのかもしれませんがね。う、うっふふふ……」
つい含み笑いを漏らしたお竜は、鼻先をその細い指で隠した。
「く……人の弱みにつけ込んで、あ、あまりに無礼な……」
伊織は悪党の言いように内心嫌悪を覚えながら、悲しみに身を震わせる奥方を演じた。
「ま、まあお気を悪くされたでしょうが、下世話なあたしらの冗談ですよう」
少々取り繕うような笑みを浮かべたお竜であったが、すぐさま真顔に戻って続ける。
「でもね菊さま、あなたの命綱はあたしが持ってる。そしてこの命綱は、必ず旦那様やお家を助けることが出来るんですよ」
伊織は顔を上げてお竜の顔を見た。
「あとはね、奥さまがこの命綱を握るだけなんだ。そう……、あとはそのお気持ちひとつなんですよ」
「わ、私の気持ち……」
「そうですとも」
畳を擦って膝がにじり寄ると、お竜の両手が伊織の左手を取った。
「なあに旦那様には黙ってりゃ何も知れやしませんよ。書物や裁縫で家計を支える良妻でさあ……。い、いえ、書物でなくとも本当に健気な奥さまに変わりはありませんがね」
伊織の左手がひんやりと湿ったお竜の手に包まれる。
「ねえ奥さま。なにも好いた惚れたの付き合いとは申しておりません。先々のめどがおつきになるまでお手伝いして、その代わり奥さまはあたしの……ね……?」
硬くした左手の指をお竜の指に優しくほぐされる。
そのまま指が絡みつくと、お竜の左手が伊織の肩を抱き寄せた。
「あ……」
か弱い声を上げてみせながら、おぞましさに身の毛がよだつのを伊織は感じた。
「や、やめてください……」
「いいから全部あたしに任せて。女同士は初めてでしょう?」
「いや、こんなこと……。女同士でこんなことは間違っています!」
さすがに頭の中で言葉が空回りするのを覚えながら、伊織はお竜の身体を押し返そうとする。
「ふうう、女の体は女の方が……。奥さま、極楽を見せてあげますよ……」
「や、やめて!」
女の悲鳴を上げたものの、伊織の脳裏にお蝶の顔が浮かんだ。
柔らかい身体が融け合って目くるめく快楽に堕ちてゆく様は、悔しいがお竜の言葉に頷かざるを得なかったのである。
「うん? 嫌ですか? ね、少し我慢して……ね、悪くはしないから……ね?」
この上もなく好みの女に挑んで、興奮したお竜もその言葉尻を微かに震わせた。
「ひ……、少し考えねば……。……ああ! お願いですから、またこの次の時に……」
そんな伊織の哀願にもかかわらず、乱れた胸元からお竜の片手が覗きこんで、首筋を熱い吐息が撫でる。
「い、いや………やめ……あ!」
首をすくめてお竜の息を避けようとした途端、姿勢を崩した二人の身体が畳の上に倒れこんだ。
「いやあ……」
力ずくでお竜の身体を跳ね除ける訳にもいかず、首筋にねっとりと唇を受けながら伊織は悲痛な声を上げた。
そしてまた悲しいことに、お竜の唇が這いまわる辺りから全身に鳥肌が立つような刺激を受けたことも確かだったのである。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2017/03/16 07:59
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お菊さん
この名前で連想するのは、どうしても皿屋敷です。
皿屋敷は、日本各地に伝承があるようです。
中でも有名なのが、『番町皿屋敷』ですね。
番町は、現在の千代田区一番町から六番町になってます。
皇居のすぐ西側。
東京駅からだと、皇居を迂回しなければならないので、少し行きづらいです。
でも、一等地には変わりありません。
江戸時代は、大番組という旗本の住居がありました。
大番組は、将軍を直接警護する役職です。
一見、エリート集団のように思えますが……。
家格は、小姓組、書院番などより低かったようです。
さて、ここからお菊さんの話を書こうと思ったのですが……。
残念ながら、時間切れです。
3月のダイヤ改正で、これまで乗ってた電車の車両が新しくなりました。
それはいいんですが、編成が短くなってしまったんです。
おかげで、すごく混んで、本も開けなくなりました。
そのため今は、1本前の便に乗ってます。
ということで、出かけなきゃなりません。
さらばじゃー。
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2. 博奕はパチンコHQ- 2017/03/16 08:45
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↑勝てないんで撤退しました
お竜一家
ときますと何と言いましても東映映画『緋牡丹博徒』シリーズ。
緋牡丹のお竜こと、矢野竜子を演じたのは藤(富司)純子。本名、寺島純子。
夫は七代目尾上菊五郎。
長女は女優、寺島しのぶ(この人、好みなんだよね。
♪娘ざかりを渡世にかけて
張った体に緋牡丹燃える
女の 女の 女の意気地
旅の夜空に恋も散る
鉄火意気地もしょせんは女
濡れた黒髪緋牡丹ゆれる
女の 女の 女の未練
更けて夜空に星も散る
男衣装に飾っていても
さしたかんざし緋牡丹化粧
女の 女の 女の運命
捨てた夜空に一人行く
(藤純子『緋牡丹博徒』)
結局、全部やっちまったぜ。
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3. Mikiko- 2017/03/16 19:46
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お菊さんの続き
『番町皿屋敷』の話は、可哀想すぎるので書きません。
ここから派生した落語に、『お菊の皿』があります。
あらすじを読んでたら、わたしの頭にある落語と違ってました。
“麹町の猿”というフレーズが残ってたので、調べてみたら……。
わたしの頭にあったのは、『厩火事』という落語でした。
麹町の“さる殿様”が、客に見せるお皿を奥方に運ばせていたところ……。
奥方が階段で足を滑らせた。
駆けつけた殿様は、「皿は大丈夫か! 皿皿皿皿」と、息もつかず36回言い募ったそうです。
あきれた奥方は実家に帰りました。
妻の実家は怒り、「妻よりも皿を大切にするような不人情な家に、かわいい娘はやっておかれない」と、離縁。
殿様は、一生を寂しく独身で過ごしたという話。
実際の落語は、これと“モロコシ”であった厩火事を種にして……。
髪結いの亭主を持つ女髪結の可愛さがとても際立つ、良いお話です。
文化年間(1804~18)から口演されてたそうです。
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4. いちまーいHQ- 2017/03/16 22:50
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↑にまーい……
なんだよ
書かんのかい、お菊話。
星野大二郎が面白い解釈をしています。
うろ覚えなんですが……皿、皿屋敷とは低地、くぼ地、谷間を意味していると。で、こういう場所には妖が棲む、と。
なんか、全然伝わらないなあ。
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5. Mikiko- 2017/03/17 07:32
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皿のような窪地
かつての亀田郷のようです。
皿より深いので、むしろ鍋ですかね。
実際、鳥屋野潟のすぐ南には、鍋潟新田という地名が今も残ってます。
江戸時代から続く地名です。
亀田郷の“妖”は、大亀くらいしかいませんね。
実際、田んぼからでっかい亀が現れたのが、地名の由来みたいです。
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6. あほ亀ハーレクイン- 2017/03/17 12:13
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前コメ
“星野”大二郎、なんて書いちゃいました
もちろん「諸星大二郎」氏です。「星野之宣」氏とごっちゃにしちゃったようです。
すんませんな、両「星」巨頭。
>亀が現れたのが、地名の由来
まんま、ですな。
まあ、わかりやすくてよろしい、亀田郷。
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7. 醜女- 2017/03/18 06:52
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伊織可愛い。
いろんな女達に犯されて欲しい。