2017.2.14(火)
笑いかける志摩子に、秀男も笑い交じりに答える。
「姐さん。ほの、葵祭の女人列。中心にいやはるのは斎王はん、言わはりましたなあ」
「へえ、言いましたで。せやかて秀はん。女人列(にょにんれつ)ゆうのんは、斎王はんのえーと、群行(ぐんこう)、やったかいな。ほれを表してるんやろ」
「そうですなあ」
「で、群行、ゆうのんは、お伊勢はんに向かわはる斎王はんの行列の事なんやろ」
「そうですなあ」
「ほなら秀はん」
「へい」
「女人列の中心が斎王はん。ほの何がおかしいのん」
秀男に問いかける志摩子の声音(こわね)は、どことなく向きになったような色合いがあった。
秀男は平然と答える
「姐さん。確かに女人列は斎王群行を表すもんでっけど、ほれはもちろん、ほんまもん(本物)やおへんわなあ」
「ほら、当たり前やないの、秀はん。お祭りの行事の一つで……斎王群行の、えーと、なんちゅうたらええんか、にせもん(偽物)ゆうたら怒られるし……」
「はは。まあ、真似、云いますかのう」
「ああ、真似、なあ」
「女人列は、御所をた(発)たはって、鴨川沿いを練り歩いて下鴨はん、ほんで上賀茂はんを目指しはります。この賀茂はん(賀茂神社)がまあ、お伊勢はんを表してる、ゆうことですわなあ」
「せやったら秀はん」
「まあまあ、姐さん」
食ってかかる、とまではいかないが、承服できないという風情の志摩子を宥めるような仕草と共に、秀男は答えた。
「姐さん。さっきも言いましたように女人列はほんまもんやおへん、あくまで真似、どす」
「ふん」
「しやから、群行、云わんと女人列、て云い変えとるわけで。そこで、斎王はんもほんまもんやない、ゆうことで呼び方変えるんですなあ」
「へえ、なんて……」
一呼吸おいて秀男は答えた。
「女人列の中心にいてはるのは斎王代、云わはります」
「さいおう、だい……」
「代は代わり、代理の代、ですなあ」
道代が口を挟んだ。
「だい。さっきの、代参の代、ですやろか」
「おうせや、お道はん。あんたもなかなか聡いやないか」
「いや、そんな……」
道代はまた俯いたが、今度は何やらはにかむ様な風情であった。
志摩子の声は少し大きくなった。
「なるほどなあ。斎王はんの代理、で斎王代かいね」
「そういうことですなあ」
「ほんでも秀はん。斎王はんはもともと天皇さんの代理やろ。ほな斎王代はんは代理の代理、ゆうことかいね」
嵯峨野、野宮(ののみや)神社の閑静な境内に、志摩子主従三人の軽い笑い声が広がった。
その時、神社入り口の黒木鳥居を潜って、人が境内に入ってきた。二人。
目ざとく見つけた秀男が志摩子、道代を促して立ち上がる。参道の石畳を避け、脇の土の地面に移動した。志摩子と道代がそれに習う。
何やら出迎え人のような風情の三人に軽く会釈をし、入ってきた二人の人物は真っ直ぐに拝殿に向き合った。先ほどの三人と同様に鈴を鳴らし、賽銭を上げ、深々と拝礼する。かなり年配の、男女の二人連れ。夫婦であろうか。二人とも髪は白く、多くの深い皺がその貌に刻まれていた。男の方は白い顎鬚(あごひげ)を豊かに蓄えている。男女ともにその表情は穏やかなものであった。
拝礼を済ませた二人は、先ほどと同様に志摩子たちに会釈をし、そのまま後戻りして、先ほどと同様に黒木鳥居を潜り、野宮(ののみや)神社を出て行った。その間、二人は一言も交わすことはなかった。
志摩子が、まるでそれまで息を詰めていたように、吐息交じりの声を上げた。
「なんや……お人形さんみたいな二人やねえ」
道代が返す。
「お人形……」
「ほれ。お雛さんの段飾りなんかにあるやん。おじいはん、おばあはんの、一対の人形。婚儀の引き出もん(物)なんかにも付いてる、あれ……」
秀男が説明する。
「じょう(尉)と、うば(姥)ですかいな、姐さん」
志摩子と道代は、声を続けた。
「じょう、と……」
「うば……」
秀男は、漢字の説明から始めた。
「じょうは……兵隊の階級に大尉、とか中尉、とかおますやろ。あの、い(尉)と書きます。ほれで、じょう、と読むんですな」
道代と志摩子は声を揃えた。
「へええ、い(尉)と書いて、じょう……」
「うばは、女へん(偏)に老人のろう(老)っちゅう字ぃです。婆さん、という意味ですなあ」
志摩子が弾むように言う。
「ほなら秀はん。じょう(尉)は爺さんかいね」
「そういうことですなあ。じょう(尉)とうば(姥)。あわせて高砂人形、云います」
「たかさご、て。あの高砂ですやろか」
「どの高砂やのん、道。〽たぁかぁさぁごぉやぁ~、の高砂やろ、秀はん」
謳う志摩子に秀男が合わせる。
「へい。〽このうらふね(浦船)にぃ、ほ(帆)をあぁ(上)げぇてぇ」
「〽つき(月)もろともにぃ、いぃ(出)でぇ潮のぉ」
「〽なぁみ(波)のあわじ(淡路)の、しぃまぁかぁげぇ(島影)やぁ」
「〽とお(遠)くなるお(鳴尾)のおきぃ(沖)すぅ(過)ぎぃてぇ」
「〽はやすみのえ(住吉)にぃ、つ(着)きにけりぃ~」
呆然と聞き入っていた道代が、秀男の声が止まると同時に、幾度か手を打った。その頬は紅潮している。
「お道はん。知っとったか、これ」
「へえ、いえ。ほんでも、どこぞで聴いたことあるような……」
「道。婚礼の披露宴なんかでは決まって謳われるそやで。なんでも、能、てあるやん。あれの謳いらしいわ。たかさご(高砂)ゆうんやけどな」
「へえ、たかさご……。ほんでも姐さん。ようご存じですなあ」
「ふん。どこぞのお座敷で披露しやはったお方がおらはってな、ほんで覚えたんや。うちの知識はみいんな(皆)お座敷や」
秀男が説明を続ける。
「ほんでですなあ。そのじょう(尉)とうば(姥)の一対の人形を高砂人形、ゆうんですな」
道代が問いかけた。
「秀はん。高砂て、どこやら西の方の……」
「せやなあ。兵庫の西の方に、忠臣蔵で有名な赤穂があるやろ。ほのほん近くに、これは有名な姫路や」
「あ、へえ。お城の……」
「ほの姫路の、ちょい手前に高砂、ゆう市ぃがあるんや。そこのことやな、高砂」
「へえ」
「そこに高砂神社、ゆう神社はんがあってな、境内の松が有名なんやな」
「へえ、松……」
「で、やな。今の謳いの最後が〽はやすみのえ(住吉)に、つ(着)きにけり、やが、これは大阪の住吉大社はんや」
「へえ……」
「ほんでやな。じょう(尉)とうば(姥)はどっちゃも松の精なんやな」
「へえ、松……」
「じょう(尉)は黒松、うば(姥)は赤松や」
「へへえ」
「で、高砂神社はんの松は、この黒松と赤松が根元で繋がって一本の木ぃになっとるらしい」
「へえええ」
「で、これを称して、あいおい(相生)の松、ゆ(云)う」
「あいおい……」
「一緒に生きる、ゆうくらいの意味かのう。要するに夫婦、ゆうことやな」
「ははあ」
「つまり高砂の松は、夫婦和合を意味しとる、ゆうことやな。しやから、婚礼でよう謳われるわけや。〽たぁかぁさぁごぉやぁ~、てな」
「へええええ~、そないどすか」
道代は、心底感心したような声を上げた。
そこに志摩子の問いかけが重なる。
「ほんでも秀はん。高砂はわかったとして、大阪の住吉はんがどない関わっとるん?」
コメント一覧
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1. ♪なるお(鳴尾)HQ- 2017/02/14 09:44
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↑兵庫県西宮市鳴尾町
県の東端当たりの海辺に位置
甲子園球場が近くにあります
かつては白砂青松の地だったそうですが……
終わりません
いや、終われません。嵯峨野竹林の道の場。
高砂話まで出るようでは、夜更けになっても野宮(ののみや)神社を出られないかもしれません。
いやいや。かくてはならじ(それは聞き飽きた)。
志摩子には、大事なお座敷が待っております。お座敷をすっぽかして何が舞妓か。
秀男の尻を引っ叩いてでもおしゃべりにけりをつけたいと思います。
それにしても、お座敷で『高砂』を唸る輩なんているんでしょうかね。
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2. Mikiko- 2017/02/14 19:44
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高砂や~
どうも、野球関係で聞いた覚えがあるなと思ってたのですが……。
ようやく、思い出しました。
2014年のドラフトで、ロッテから2位で指名された田中英祐投手。
この人が、兵庫県高砂市の出身だったんです。
なんでこんなことを覚えてたかというと……。
彼は、京都大学から、初めてドラフトでプロに入った選手だったからです。
で、当時、どこの高校から京大に入ったのかと思って、経歴を調べたんですね。
そしたら、高砂市にある私立の白陵高校でした。
高砂市という市があることは、このとき初めて知りました。
その白陵高校ですが、これが大変な進学校で、入試偏差値が73です。
この高校で、田中投手は、1年生の秋からエース。
残念ながら、甲子園出場はなりませんでしたが。
兵庫県じゃ、難しいわな。
野球しかしないような学校も、たくさんあるんでしょうから。
田中投手は、高校3年の夏まで野球をしてたのに、なんと京大工学部に現役合格してました。
大学時代の球速は、MAX149km/h。
三井物産の内定を辞退してプロ入りしたそうです。
まさに、文武両道ですね。
まだ、一軍では2試合しか投げてないようで……。
プロでの活躍は、なかなか難しそうですけどね。
野球がダメでも、ロッテ本社が採用するんじゃないですかね。
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3. オロナミンC HQ- 2017/02/14 21:09
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偏差値73!
それはすごいと言いますか……あり得ない数値のような気がしますが、偏差値に一喜一憂?する生活は遠くなっちゃいました。
ロッテの田中投手
知らんなあ(すまぬ、田中)
それにしても、まさに文武両道ですね。
頑張れ、高砂の星!
♪子供のころからエースで4番~
そういえば、東大から初のプロ選手もいたよね。
誰だっけ。
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4. Mikiko- 2017/02/15 07:33
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兵庫県で一番は……
もちろん灘高校で、偏差値79でした。
ちなみに、今の新潟県知事は、灘高から東大医学部卒です。
↓東大からプロは、けっこういるようです。
https://matome.naver.jp/odai/2135771154336775301
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5. 東灘区は灘区の東HQ- 2017/02/15 12:32
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↑♪あたりまえ~
で、東灘区は神戸市の東端
わたしが以前勤務した予備校が東灘にありました
もう潰れちゃいましたが
灘高
所在地は、神戸市東灘(ひがしなだ)区です。灘区ではありません。
東大出身プロ選手
新治伸治(1965年大洋入団)
井出峻(1966中日)
小林至(1992ロッテ)
遠藤良平(1999日ハム)
松家卓弘(2004横浜→2009日ハム)
過去5人のようです。5人とも現在、プロは引退。新治氏はお亡くなりです。
井出、小林、遠藤の各氏はいずれも現在、球団職員。
松家くんだけは、米国マイナーリーグや独立リーグへの入団を目指しているとのことですが、現在はどうでしょう(調べましたらやはりこの人も引退。現在は高校教諭兼、野球部コーチだそうです)。
まあ、腐っても東大。いくらでも潰しは効きます。
私が以前勤めた塾にも、東大出の講師がいました。
田中くんには頑張ってほしいものです。頑張れ、京大の星。
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6. Mikiko- 2017/02/15 19:47
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東大出の講師
考えてみれば、これほどの適任はありません。
東大合格者というのは、受験のプロですから。
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7. ウケも頭も悪いHQ- 2017/02/15 21:19
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受験のプロ
うーん、なんでしょうけどねえ。
塾内での評価はも一つでした(お前に言われとないわ)。生徒のウケもね。やはりこの仕事、頭がいいだけではだめのようです。
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8. Mikiko- 2017/02/16 07:27
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にゃるほど
ノウハウを、生徒の学力に見合ったかたちで伝える能力が必要ということですね。
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9. スベリまくりHQ- 2017/02/16 08:48
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最も大事なのは……
生徒のウケです。
これが無いと、伝えるもへったくれも出来ません。
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10. Mikiko- 2017/02/16 19:59
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早い話……
芸人の素養が必要ということですね。
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11. 没個性ハーレクイン- 2017/02/16 21:55
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まあ、そこまでは……
そんな素養があれば、テレビでひと稼ぎできますわな
要するに「生徒をいかに自分の土俵に引き込むか」で、その方法は人それぞれ。いずれにしても、強烈な個性が要求されます。
あ、結局芸人か。