2017.1.24(火)
「当たりぃー」
秀男は大声を上げた。
「うわあ!」
志摩子は小躍りするように道代を見やった。駆け寄り、志摩子は道代の手を握る。
「と言いたいとこですけんど、姐さん」
秀男は、笑い混じりに志摩子に向き合った。
「なんやのん、秀はん」
「そういうわけやおまへんねん。残念ながらはずれ、どす」
「えええー」
志摩子は頬を膨らませた。まるきり、小娘の仕草であった。その両手は、変わらず道代の手を握ったままだ。
道代は、志摩子に両手を預けながら思った。
(小まめ姐さん)
(いや、志摩ちゃん……)
(申し訳ございまへんが姐さん)
(やっぱし、うちにとっては志摩ちゃんどす)
(もちろん、口に出したりは決してしまへんけど)
(志摩ちゃん……)
(可愛〔かい〕らしなあ)
志摩子は、笑顔の秀男に向き直り、問い詰めるように声を掛けた。
「しやけど秀はん」
「へい」
「ここ、ののみや(野宮)はんはアマテラスはんをお祀りや、言わはったわなあ」
「へい、そのとおりで」
「ほんで、お伊勢さんもアマテラスはんやろ」
「そうですなあ」
「ほな、天皇はんはここにお参り、ゆうことでよろしいんやないのん」
「まあ、理屈はそうですけんど、やっぱりホンマの本来は伊勢神宮はん、ゆうことなんですなあ」
「ふううーん」
志摩子は、納得したような出来ないような、そんな声を上げた。
道代が、話を整理するように口を挟んだ。
「天皇さんは、本来はお伊勢参りに行かんならん。しやけど、実際には行くことでけへん。ほの代わりに野宮(ののみや)はんに、ゆうのもあかん……」
秀男がうなずいた。
「そういうこっちゃなあ、お道はん」
「ほな……どないしやはんのん(どうされるのだ)」
呟く志摩子に向き直り、焦らすように秀男は言葉を継いだ。
「さあ、どないしやはったらええんか、ですなあ」
「うーん」
志摩子は考え込んだ。
道代も秀男も黙りこくる。
道代は軽く上を見た。
竹林の只中の野宮(ののみや)神社。だが、その境内には竹ではなく、杉や、各種の広葉樹が、本殿を取り囲むように植えられている。いや、自然の樹木も多くあるようだ。道代が見上げるその視界には、広葉樹の葉が重なり合い、天を覆っていた。
道代の目には、その葉叢の隙間を通し、暮れかけた冬の京の、灰色の空が覗けた。
(静かやなあ)
人の声も鳥の鳴き声もしない。風が収まったのか、葉擦れ一つ聞こえなかった。
しばらく続いた三人の沈黙を破ったのは、志摩子の声だった。
「秀はん……」
「へい、姐さん」
「せやったら……」
志摩子は少し躊躇った後、つっかえながら言葉を継いだ。
「へい」
「代参の……お方を遣らはる、ゆうのんは……」
秀男は破顔した。
「当ったりぃー」
志摩子は、先ほどと同様に小躍りしかけたが、途中で止めた。
「秀はん、またさっきみたいにはずれ、ゆ(言)うんやないやろね」
秀男は笑顔のまま、志摩子を宥める様な仕草をしながら答えた。
「いやいや姐さん。今度はほんまに正解ですわ」
「やったで、道」
志摩子は、道代の顔を視線で捉えると同時に声を掛けた。
「よろしおしたなあ、姐さん」
志摩子に答えながら、道代は心中で呟いた。
(だいさん)
(だいさん)
(なんやろ)
(なんやろ、だいさん、て……)
(どないな字ぃ、書くんやろ)
(だいさん……)
だいさん、だいさん、と幾度も心中で繰り返す道代は、知らぬ間にその言葉を口で呟いていた。
「だいさん……」
その口調から分かったのだろうか、秀男が道代に問いかけてきた。柔らかい口調だった。
「お道はん。代参、がわからんか」
その秀男の口調に、道代は素直に答えていた。
「へえ。恥ずかしおすけんど……どないな字ぃ、書くんですやろ」
答える秀男の口調は、どこまでも柔らかかった。
「身代の代、代替わりの代……お、せや。歌の、君が代の代、ゆ(言)うたらわかるかいな」
「あ、へえ。わかります」
「ふむ。ほんで、さん、やが……。さんけい。お寺はんやお宮はんにお参りする、参詣、参内の参。やが、わかるかいな」
「へえ、わかります」
「ふむ。念のため……」
秀男は、それまで立っていた参詣用の石畳を離れて、土の地面に移動した。地面に落ちている小枝を拾い上げ、道代に目を向けた。声を掛ける。
「お道はん。念のため、書いたげるわ」
秀男は、小枝の先を動かして、地面に大きく『代参』と書き付けた。十分読み取れる。
覗き込んだ道代は、大きく頷いた。
「へえ、ようわかりました。おおきに、秀はん」
道代は、先ほどの秀男に習うように笑みを浮かべた。その顔は、道代自身の知らぬ間に、幾度か縦に振られた。
志摩子が声を掛けてきた。
「えらいお勉強やなあ、道」
道代は慌てて振り向き、答える。
「すんまへん、姐さん。しょうもないことでお時間取らせました」
「しょうもないことやないがな。人間、どんな時でもお勉強、忘れたあかん」
志摩子も笑みながら答えた。さらに畳み掛ける。
「ほんで道。字ぃはわかったとして、意味はどやのん。知っとんのか、代参て何のことか」
道代は、どぎまぎしながら小声で答えた。
「え、へえ……あの、いえ……」
志摩子は笑みを崩さず、秀男を振り向いた。
「秀男せんせ。この生徒、代参の意味、分かれへんみたいですわ。ついでにおせ(教)たってもらえますぅ? あ、もう時間ないかな」
秀男はにこやかに答えた。
「時間は……まだまだ大丈夫ですわ。ほな失礼して、ここに座らせてもらいまひょか。話、ちょとなご(少し長く)なりますよって。あ、失礼ですけんどこれ、ひ(敷)いとくんなはれ」
秀男が、ここ、と二人を誘ったのは、先ほど拝礼した拝殿の前、数段の石段であった。
歩み寄った道代と志摩子は、先に腰を下ろした秀男に習い、石段に腰を下ろす。拝殿に背を向ける形である。秀男の右側に道代、そのさらに右に志摩子が並んだ。志摩子は尻の下に秀男から渡された手拭いを、道代は自らの手拭いを広げて敷いていた。
「ほれでのう、お道はん」
「へえ」
秀男は、おもむろに語り始めた。
コメント一覧
-
––––––
1. 竹取りの翁HQ- 2017/01/24 07:53
-
↑以前にやりましたか
長引いております
『アイリス』嵯峨野の場。
小まめの志摩子主従三人が祇園を発ったのは『アイリス』163回。
で、今回が179回。
16回を費やして、いまだ目的地に到着できておりません。
なのに野宮(ののみや)神社などと言う、話の本筋とは何の関係もないネタに引っかかっております。
かくてはならじ(それは聞き飽きた)。
次回、秀男センセの野宮講義に早々にけりをつけ、目的地に到着する所存です。
今回、秀男が「当ったりぃー」などと、少々軽い発言をしております。
まあ、これは秀男本人に責任は無い。作者の筆が少々浮かれていた、ということでしょうか。どうぞお読み飛ばし下さい。
-
––––––
2. Mikiko- 2017/01/24 19:50
-
当ったりぃー
ここはぜひ、「当ったりぃー、前田のクラッカー」と言わせてほしかった。
まだ放送前でしたっけ?
野々宮誠という俳優がいたなぁと思ったら……。
野々村真でしたね。
もう、52歳のようです。
『いいとも青年隊』だったんですよね。
タモリさんが、70超えたんですものね。
-
––––––
3. ♪顔の長いはHQ- 2017/01/24 23:12
-
↑♪ときぃ~、じろおお~(『てなもんや』前田製菓コマソンのラスト
あたり前田のクラッカー
前田製菓のHPによりますと、発売は昭和60年代とのこと。
「小まめ時間」は昭和30年代初期。残念ながら秀男に「当ったりぃー、前田のクラッカー」と云わせることは出来ないようです。
しかし「あたり前田のクラッカー」なるキャッチコピー?は、前田製菓さんご本人にも分からなくなっているような……。
かくてはならじ。ご紹介しましょう。
当時、勃興期のテレビ番組で絶大な人気を博したコメディ時代劇ドラマ『てなもんや三度笠』(てなもんや;大阪語“こんなものだ”“どうだ、まいったか、この野郎”)。
この番組のオープニングで、提供元・前田製菓のCMを、主役の三人(藤田まこと、白木みのる、と……あと誰だっけ。おい!)が演じるわけです。
で、CMのラストは、藤田まこと演じる「あんかけの時次郎」(もちろん、沓掛の……のパロ)が、前田製菓の主力商品を右手に正面に突き出し、見栄を切るわけです。
「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」。
ちなみに、「あんかけの時次郎」は、泉州(旧・和泉の国;大阪府南部、ガラの悪いとこで有名)信太(しのだ)の生まれ。
信太はご存じ「葛の葉伝説」の土地ですが、時次郎の雰囲気にはまったく合いませんね。
●恋しくば尋ねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
♪雲と一緒にあの山越えて
行けば街道は日本晴れ
知恵は珍念 力は茂兵衛
顔の長いは 顔の長いは
時次郎~ (結局、フルバージョンやっちゃったよ)
52歳!
へえ、あの「まこっちゃん」がねえ。
♪時の過ぎゆくままに~
しかし懐かしいなあ『いいとも青年隊』
♪いいともいいとも いいトモロ~
-
––––––
4. 反省ザルハーレクイン- 2017/01/24 23:17
-
少々、反省の弁
何を今さら、ですがこの『アイリス』。各回天井近くに載せていただいています「戯曲」「幕間」。
そーなんですよ。
そもそもこの『アイリスの匣』
もともとは『センセイのリュック』なる戯曲の、脚本の一部を成す小説形式の物語なんですね。つまり、全体構成(そんな大層な)は舞台劇なわけです。
具体的には、主人公東中あやめ。こやつの独白、と云いますか回想が『アイリスの匣』なわけです。
これを実は作者、コロッと忘れていたんですね(たいがいにせえよ)。
かくてはならじ。
この“回想物語『アイリス』”に早急にけりをつけ、『リュック』の舞台、伊豆の山中に戻る所存です(今年中には無理かも。おい!)。
-
––––––
5. Mikiko- 2017/01/25 07:34
-
当たり前田のクラッカー
発売が昭和60年代なんて、ありえないでしょ。
『てなもんや三度笠』の放送は、昭和37(1962)年から昭和43(1968)年までです。
発売は。「60年代」という記述だったはず。
1960年代ですよ。
-
––––––
6. あたり前田のアホHQ- 2017/01/25 12:43
-
60年代
わははは、しっぱい失敗。
何を考えていたんでしょうか。
1960年と云いますと、昭和35年(西暦‐25=昭和)。で、『てなもんや』の放送開始は昭和37年ですか。
秀男に「当ったりぃー、前田のクラッカー」と言わせることは、微妙ですが難しそうです。
-
––––––
7. Mikiko- 2017/01/25 19:43
-
何も……
考えてなかったということです。