2016.12.20(火)
小まめの志摩子主従三人は、住み慣れた祇園を出発した時と同じ順に縦並びに、竹林内の径にさらに踏み込んだ。
案内役の秀男はゆっくりと歩みを進める。志摩子は、秀男の数歩後を遅れないように付き随うが、秀男の悠然とした歩みは、どんなにゆっくり追いかけても遅れる心配はなさそうだった。
「なあ、秀はん」
志摩子は、秀男にほとんど肩を並べるまで近づき、声を掛けた。
「へい。なんですやろ、姐さん」
「あと……どれくらいなん?」
「そうですなあ。儂も今夜のお座敷の場所には行ったことおませんねんけんど、女将さんの言わはった話からすると、時間にして10分。なんぼゆっくり歩いても20分はかかりまへんやろ」
「ふうん、そんなもんかいね」
「しやから姐さん。お座敷の時間には十分間に合いますわ。のんびり竹林見物でもしもって(しながら)行かはったらよろしいですやろ」
「ちく、りん……?」
志摩子は小首をかしげた。横の秀男を軽く見遣る。志摩子は、秀男に肩を並べて歩いていた。
「竹の林、ですなあ。この道は『竹林の道』云いましてな。嵯峨野名物ですわ」
「へえ『竹林の道』、かいね」
志摩子は確認するように鸚鵡返しに答えた。
「言われてみたらその通りやねえ。しやけどほんま、えらいようけの竹やねえ、秀はん」
「そないですなあ」
「何本くらい、植わってるんやろねえ」
「はは。そらあ数え切れん、ゆうやつですなあ姐さん。ま、太閤の秀吉はんやったら、人手つこて(使って)工夫して、上手いこと数えはるかも知れまへんけど」
「太閤はん、なあ」
「へい。あんお人がまだ藤吉郎、ゆわはった(と名乗っていた)頃……」
また長くなると考えたか、志摩子は強引に秀男の言葉を遮った。
「秀はん。右見ても左見ても竹ばっかし。まるっきり見通し効かんやないの」
「そないですなあ」
「どこまで植わってるんやろ。まさか地の果てまで、ゆうことはないわねえ」
「はは、そんな姐さん。見掛けほどでもおまへん。まあ、このあたりは結構おますようですけんど、もちょい先行ったら、右手は十間(けん)、二十間くらいで国鉄の線路ですわ。左手奥はほんすぐ(ほんのすぐそこ)、ゆう感じで天龍寺はんの境内になりますしなあ」
「ふうん、そんなもんなん」
「まあ姐さん。この竹林の道の味わいは、真ぁ横見るより、正面ですわ。自分の歩いてる方を真っ直ぐ見通す。ほしたら、竹でこさえた屏風、両側に立てたような、ほして二枚の屏風の間を進むような、そないな風に見えますわなあ。これが竹林の道の味わいやおへんやろか」
秀男は得々と語る。
志摩子は、そんなものか、と思いつつ、何となく納得させられた気になった。
「ふうん」
志摩子は立ち止まった。「気を付け」の号令を聞いた小学生のように背筋を伸ばす。見晴るかす志摩子の視線の先には、薄暗い竹林の道が、それこそ地の果てまでと思わせるように、どこまでも延びていた。
志摩子はしばらくの間、この世のものとも思えぬその眺めを放心したように見つめ続けた。
径を辿る人は、三人の他は一人もいない。
静かだった。
竹群れの中からは鳥の声一つ聞こえない。竹林内は静まり返っていた。
目に映るものは一筋の土の径。そして無数の竹。
(はあ、なんと……)
風があるのか、竹の梢が時折揺れる。志摩子には、その揺らぎと共に、かすかに葉擦れが聞こえるような気がした。
志摩子は、今し方の秀男の言葉の一つに、ふと気づいた。それをそのまま口にする。
「あ、天龍寺ゆうたら、秀はん。さっき国鉄ん中でも話してたなあ」
「へい。行き先の説明で、話に出ましたなあ」
「なあ、道。あんたも知ってたなあ、天龍寺」
志摩子は歩みを止めたまま振り返った。道代はいなかった。志摩子の視線が泳いだ。その視界の隅に、小さく縮こまったような道代の姿があった。
道代は先ほどと同様、志摩子と秀男に少し遅れた径の真ん中に、縫い付けられたように立ち止まっていた。
志摩子が声を掛けた。
「道」
返事はない。
志摩子は少し声を大きくした。
「これ、道」
道代の返答はない。
志摩子は声を張り上げた。
「どないしたん、道」
志摩子は、それ以上道代の返答を待たず、少し小走りに径を戻った。数歩で、道代の前に辿りついた志摩子は、これも先ほどと同様、両手を伸べて道代の両肩を捉えた。
「道……また、かいね」
道代は、それでも言葉が出ない。
志摩子は気付いた。縮こまった道代の全身は、※瘧(おこり)を病んだように小刻みに震えていた。だが、その体は逆に冷え切っていた。道代は僅かの間に、長患いの老婆のような有様になっていた。
※熱病、多くはマラリア。
「道……」
志摩子は、道代の両肩に置いた両の手をはずして道代の背に廻す。そしてそのまま両腕を曲げ、道代を自分の胸に抱え込んだ。志摩子は道代を抱いた。強く、しかし限りなく優しく道代を抱きしめた。
志摩子は道代の耳元に口を寄せる。囁く。
「道」
「………」
「道ぃ」
「ねえ、……さん」
道代の口がようやく開いた。道代の口も志摩子の耳元にあった。志摩子に答える声が、掠れ切った嗄れ声が、その上下の唇の間から微かに漏れた。
「大丈夫か、道」
「ねえさん……」
「なんえ、道」
「小まめ……ねえさん」
「はい、お道はん」
軽くおどけて志摩子は答えた。
「ねえさん、うち……」
「はいな」
「うち、後生一生のお願いどす」
「なんやいな道、大層な」
「ねえさん」
「ほい」
「行ったら、あきまへん」
「へ?」
「この先。行ったら、あきまへん」
「行ったらあかんて、道。お座敷あるやないの」
「ほれでもあきまへん。戻りまひょ、姐さん」
道代は、言いながら志摩子の背に両腕を廻した。それは、今の志摩子の仕草と全く同じであった。二人は、京の嵯峨野、夕闇の近い竹林の道の只中に立ったまま、互いに固く抱きしめあった。
志摩子は、時折手首を返して道代の背を軽くたたく。
道代は、志摩子の上体を、離してなるか、と力任せに抱きしめる。だが、今の弱々しい道代の力では、志摩子にさほどの圧迫感を感じさせることは出来なかった。
志摩子は、尋常でない道代の言動の真意を確かめようと、改めて囁いた。
「戻って……どないすんのん」
「お座敷なんかほ(放)って……逃げまひょ」
「逃げるて、道……」
「この径の先、悪いもんがおります。よ(良)うないもんがおります」
「悪いもんて。ようないもんて……」
道代は、今の尋常でない立ち居振る舞いに似つかわしく、一気に雄弁になった。声自体も大きくなったが、その声は相変わらず掠れ、嗄れていた。道代の言葉は、なんとしても志摩子を説き伏せよう、説き伏せずにおくものか、という、普段の道代には全く似つかわしくなく、奔流のようにその口から溢れ出た。その大きな嗄れ声は、悲鳴に近かった。
「わかりまへん。ほれはうちにもわかりまへん。しやけど、姐さんのおためにならん、ゆうことははっきりわかります。うちにはわかります」
「道……」
「しやから戻りまひょ。逃げまひょ、姐さん。そらあ、旦さんのお座敷、まして衿替えの話やゆうのに、逃げたりしたらえらいことんなる。ほれくらいのことはうちでもわかります。
ほれでもあきまへん。この先には、ほないな事よりもっとずっと悪いもんがおります。よ(良)うないもんが待っとります。うちにはようわかります。なんでかは知りまへんけど、わかります。姐さんのお身に関わることや、ゆうのんはようわかります。いえ、せやからこそわかるんどす。
逃げまひょ、姐さん。二人で、どっか遠くへ逃げまひょ。祇園も京も捨てて、誰一人知り合いのないとこに逃げまひょ。うち、うち……どないなことあっても、命に代えても姐さんお守りします。逃げまひょ。逃げまひょ、ね・え・さ・ん」
戻ろう、逃げようと幾度も言い募る道代の必死さは志摩子にもよくわかった。わかりはしたが、全く理解は出来なかった。志摩子は変わらず道代の背をたたき続けながら、考えを巡らせた。
(悪いもん)
(ようないもん)
(なんやろ)
(なんのことやろ)
(けど……)
(この子の必死さは)
(ほれはようわかる)
(しやけど……)
(この子、熱でも……)
(しやけど)
(ついさっきまで)
(ほんまに普段となんも変わらんかったし……)
(どないしょ)
(どないしたもんやろ)
志摩子は道代を抱いたまま首だけを廻し、目の端で秀男を捉えた。
コメント一覧
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1. 嵯峨野さやさやHQ- 2016/12/20 13:16
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↑作詞:伊藤アキラ 作曲:小林亜星 歌唱:たんぽぽ
>悪いもんがおります
>ようないもんがおります
何を言い出したのでしょう、お道はん。
熱でもあるのでしょうか。
譫言でしょうか。
何かに取り憑かれたようなお道はんの「後生一生のお願い」です。
>なんでかは知りまへんけど、わかります
>姐さんのお身に関わること……せやからこそわかるんどす
これは何となく理解できそうな気がします。
なんせ小まめとお道は、あの貴船山中の一件以来、もはや一心同体ですからねえ。
で、
>逃げまひょ。逃げまひょ
さあどうする、小まめ姐さん。
がまあ、逃げたらお話が続きませんわな。
にわかに緊迫する『アイリス』嵯峨野の場。
次回以降を乞う!ご期待。
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2. Mikiko- 2016/12/20 19:51
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竹と云えば……
萩原朔太郎『竹』。
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光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
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竹は、地下茎を伸ばして増えていきます。
1年で、8メートルも伸びるそうです。
地上から見ただけでは、どの竹とどの竹が繋がってるのかわかりません。
竹は、『松竹梅』とか門松とか、めでたいイメージがあります。
なにより、筍が美味しいです。
筍は、まさしく竹冠に旬。
筍がスーパーに出回ると、春が来たことを実感します。
『竹林の道』がアスファルトなのがつや消しだと思う方がおられるかもしれませんが……。
土の道にしたら、ボコボコと筍が生えてきて、大変なことになるでしょう。
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3. 年の初めの例とてHQ- 2016/12/20 22:15
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↑♪尾張名古屋の大地震
松竹ひっくり返して大騒ぎ
あとの始末は誰がする
竹の繋がり
一つの竹林、全ての竹が地下で繋がっています。
>土の道にしたら……
あーっ、土の道にしちゃったよ。
時代が時代だから、まだ舗装なんぞしてへんやろ、と……。
うーむ。
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4. Mikiko- 2016/12/21 07:31
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いつごろ……
舗装されたのかは、わかりませんでした。
『竹林の道』は、1,000年前からあるそうですから……。
当然、土の道の時代の方が、遥かに長かったことになります。
昔は、周囲のお寺や貴族が、人を使って道路整備してたんでしょうね。
役所の管轄になったら、誰もしなくなりますわな。
舗装は、車椅子の方には必須のインフラです。
園路などに使われる、土舗装という工法もあります。
筍は突き抜けちゃうのかな。
舗装の下に金網を敷いたらどうでしょう?
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5. 千年の都ハーレクイン- 2016/12/21 10:02
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千年の道
あー、よかった。
いや実は、前回のコメを書いてから「そもそも、あの竹林自体、小まめの時代にあったのかなあ」という、設定が根底からひっくり返りそうな疑問がわいてきましてね。これはいよいよ、パラレルワールドに逃げるしかないかな、と逃亡計画を練ったりしたんですよ。
調べてくれてありがとー、管理人さん。
>舗装の下に金網。
ははあ、その方が楽かな。
わたしは、竹林と道との境目に、縦に金網を埋めるか、とか考えました。
土舗装
これは知りませんでした。Wikiによりますと……、
「天然の土や砂と、それらの粒子を結合する結合剤との混合物により構成される舗装。
天然の土壌が持つ弾力性や保水性を残しており、衝撃の吸収や路面温度の安定化に寄与する舗装である。特に路面温度の上昇を抑える効果が高く、ヒートアイランド現象の対策として注目されている。
また周囲の自然環境に調和しやすいため、公園や遊歩道、歴史的建造物の周囲など景観を重視する用途でも採用されている」
なるほどー、ですね。
叔父さんに習った?
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6. Mikiko- 2016/12/21 19:47
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金網を縦
地下茎は、金網の目を抜けてしまいますよ。
縦に埋める場合は、波板かなんかでしょう。
土舗装は、公園ではよく見かけます。
保水性があるので、逆にコケなどが生えて見栄えが悪くなることも。
自分の庭で、DIYで施工できる製品もあります。
袋に入っているのを平らに均し、散水すれば出来上がり。
簡便ですが、筍は突き出ると思います。
前に勤めてた建設会社で扱ってました。
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7. 自分の事は自分でHQ- 2016/12/21 21:38
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↑我が家のスローガン、というか取り決め
波板 それにしても小まめの時代、径に筍は生えたんでしょうか。それとも舗装済だったのかなあ。わたしとしては、筍が生える状態であってほしい。
DIY
Do It Yourselfの略だそうです。日曜大工でいいじゃん。
どうも、妙な略語がはやりますが、犯人はNHK?
と思ったら、発祥は英国だそうです。戦争(第二次世界大戦)で、独軍の空爆で破壊されたロンドンを「何でも自分でやろう」というスローガンで、市民が街の復興に取り組んだのが語源だそうです。
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8. Mikiko- 2016/12/22 07:15
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DIYは……
ほぼ日本語化してますね。
『NHK』eテレに、『DIY入門』みたいな講座があったように思います。
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9. いまだに未払いHQ- 2016/12/22 08:26
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↑NHK視聴料
Eテレ『DIY入門』
それそれ。
これのせいで、前コメに「NHKが犯人」なんて書いちゃったわけです。
すまぬ“犬あっち行け”。
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10. Mikiko- 2016/12/22 19:04
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テレビは……
有線でなかった?
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11. 優良視聴者HQ- 2016/12/22 20:57
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テレビ
有線ですが、何か?
Eテレは地上波だぞ。
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12. Mikiko- 2016/12/23 07:44
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なるほど
有線契約の中に、NHK受信料は含まれてないわけね。
ただ、含まれてる有線テレビもあるようです。
有線テレビ会社が取りまとめて支払うことで、受信料が割安になるからです。
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13. 払てもええぞHQ- 2016/12/23 12:56
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↑「払(はろ)ても」とお読みください
NHK
有線の契約をした時、どこで嗅ぎつけたのかNHKが電話してきよりました。もちろん「受信料払え」です。で、もうしゃあないか、で払うつもりだったんです。
そしたら、電話中の先方の言い草(何だったのかは忘却の彼方)にむか~っときまして、どなりつけちゃいました。で、電話を叩き付けるように(固定電話だったんですね)切りましたが、それっきり何ともゆ(言)うてきよりません“犬あっち行け”。
根性なしめ。
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14. Mikiko- 2016/12/23 18:26
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NHKの集金人
もちろん、NHKの職員ではありません。
歩合制の委託契約でしょう。
まともでない人も、おられると思います。
ヘタに恨みを買うと、放火されるかも知れません。
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15. まともでないHQ- 2016/12/23 22:33
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↑じゃなくてNHK
まともでない人も……
そうかなあ、それは偏見じゃないのか。
まあ仮にそういう人がいるとして、なんかトラブルが起これば、やはりNHKの責任を問うことはできるんじゃないの。賠償金とか。
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16. Mikiko- 2016/12/24 08:12
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雇用契約ではなく……
請負契約だったら、使用者責任は発生しないんでないの?
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17. 責任者でてこーいHQ- 2016/12/24 10:12
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雇用契約vs.請負契約
使用者責任。
わたしなどにわかるわけもおまへん。