2016.12.14(水)
その女性の視線は、わたしの身体を上から下まで繰り返し往復した。
「よかった……。
五体ご無事で戻ってらして」
絶句した女性は、片手で口を覆った。
零れた涙が、覆った手の甲まで流れ伝った。
「水沢さん、ママは?」
姉は、女性が泣いていることなどまったく斟酌しない口調で尋ねた。
ということは、この女性は母ではないということだ。
「すみません、お嬢さま。
奥さまは、ずっとお待ちです。
今、お知らせして参ります」
水沢と呼ばれた女性は、身を翻すと、再び扉の向こうに消えた。
「水沢のことも覚えてないの?
それは可哀想よ。
彼女が悲しまないように、ちょっとレクチャーしておく。
水沢は、わたしたちが生まれる前から、ここに住みこんでる家政婦。
元々、母の養育係だったんだけど……。
母の嫁入りのとき、京都から一緒について来て、以来、ここに住みこんでるってわけ。
わかった?
わたしたち2人とも、彼女におしめも替えてもらって育ったんだから。
母はそういうこと、まったくしない人なの」
まるでドラマのような話だった。
こんな世界が、ほんとうにこの世にあるのだ。
「さ、入りましょ」
玄関……。
それをはたして、玄関と呼んでもいいものだろうか?
お城の入口のことを、いったいなんと呼ぶのだろう?
とにかく、“玄関”という概念からは程遠い佇まいだった。
扉を抜けると、吹き抜けの広いホールだった。
もちろん、上がり框などはない。
姉は靴のまま、ホールを進んだ。
床は、大理石だろうか?
姉のヒールが、高い音を立てて響いた。
「ほら、そんな見物人みたいな顔をしないで。
後で、ひととおり案内してあげるから。
ふふ。
でも、記憶がなくなるって、面白いわね。
何事も、最初のドキドキが一番楽しいもの。
あなたとも、また最初から始められる。
さ、こっちよ」
「よかった……。
五体ご無事で戻ってらして」
絶句した女性は、片手で口を覆った。
零れた涙が、覆った手の甲まで流れ伝った。
「水沢さん、ママは?」
姉は、女性が泣いていることなどまったく斟酌しない口調で尋ねた。
ということは、この女性は母ではないということだ。
「すみません、お嬢さま。
奥さまは、ずっとお待ちです。
今、お知らせして参ります」
水沢と呼ばれた女性は、身を翻すと、再び扉の向こうに消えた。
「水沢のことも覚えてないの?
それは可哀想よ。
彼女が悲しまないように、ちょっとレクチャーしておく。
水沢は、わたしたちが生まれる前から、ここに住みこんでる家政婦。
元々、母の養育係だったんだけど……。
母の嫁入りのとき、京都から一緒について来て、以来、ここに住みこんでるってわけ。
わかった?
わたしたち2人とも、彼女におしめも替えてもらって育ったんだから。
母はそういうこと、まったくしない人なの」
まるでドラマのような話だった。
こんな世界が、ほんとうにこの世にあるのだ。
「さ、入りましょ」
玄関……。
それをはたして、玄関と呼んでもいいものだろうか?
お城の入口のことを、いったいなんと呼ぶのだろう?
とにかく、“玄関”という概念からは程遠い佇まいだった。
扉を抜けると、吹き抜けの広いホールだった。
もちろん、上がり框などはない。
姉は靴のまま、ホールを進んだ。
床は、大理石だろうか?
姉のヒールが、高い音を立てて響いた。
「ほら、そんな見物人みたいな顔をしないで。
後で、ひととおり案内してあげるから。
ふふ。
でも、記憶がなくなるって、面白いわね。
何事も、最初のドキドキが一番楽しいもの。
あなたとも、また最初から始められる。
さ、こっちよ」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2016/12/14 07:40
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本日、12月14日と云えば……
赤穂浪士の討ち入りの日です。
でもこれは、旧暦の日付けです。
この時期の東京で、あんな大雪が降ることはありません(今年は、11月初雪という珍しいことがありましたが)。
元禄15年12月14日を、グレゴリオ暦に直すと……。
1703年1月30日。
この時期であれば、大雪というのも頷けます。
それに加えて、江戸時代は、今よりも寒かったそうです。
品川で2メートルの雪が積もったという記録もありますし……。
大阪では、淀川が氷結したそうです。
江戸や大阪でこれですから、越後なんかもっとスゴいです。
鈴木牧之(すずきぼくし)の『北越雪譜』には、積雪十八丈の記述があります。
さすがにこれは、白髪三千丈の類でしょうが。
十八丈と云えば……。
54メートルになりますから。
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2. ♪打てや響けやHQ- 2016/12/14 12:02
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↑♪山鹿の太鼓
>母の嫁入りのとき、京都から一緒について来て……
なんか、皇女和宮の江戸降嫁みたいだね。
>まるでドラマのような話
まあ、ドラマじゃないけど「お話」ではあります。
>扉を抜けると、吹き抜けの広いホール
洋画だとごく普通のシーンだけど、邦画ではねえ。
もちろん、これは「お話」、映画ではありません。
〽時は元禄十五年十二月十四日
江戸の夜風を震わせて
響くは山鹿流儀の陣太鼓……
先日テレビでやっていましたが、これまで伝わってきた吉良邸討ち入りには、史実と異なる点が種々あるとか。
例えば内蔵助が打ち鳴らしたという陣太鼓。これは鳴らさなかった、というよりそもそも太鼓そのものを持参していなかった、とか。
まあ、司会が古館伊知郎ですから、どこまで信憑性のある話かは分かりません。
そういえば、『元禄名槍譜』の俵星玄蕃。この人も、架空の人物だそうです。
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3. Mikiko- 2016/12/14 19:48
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『忠臣蔵』
この言葉も、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』から来てます。
史実として取り上げる場合は、『赤穂事件』と呼ぶそうです。
人の家に押し入るのに、わざわざ陣太鼓を打ち鳴らすバカはいません。
そもそも、山鹿流の陣太鼓というものは存在しないそうです。
俵星玄蕃。
『俵星』は、槍で米俵も突き上げるという意味と、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助の合体。
この話を作ったのは、講釈師の大玄斎蕃格。
『玄蕃』は、自分の名前から抜き出したんですね。
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4. 赤穂事件ハーレクイン- 2016/12/14 23:09
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太鼓を鳴らすバカ
まあ、確かにそうなんですが、「お話」としては、やはり鳴らしてほしいよね。
吉良邸の隣家(もちろん武家、誰の屋敷だったかなあ)が、騒ぎを聞きつけて「すわ、討ち入りじゃ!」。
で、吉良邸との境の塀際に高張提灯をずらりと並べて明るくし、赤穂浪士の助けとした。なんてエピソードを何かで読んだか見たかしましたが、これも「見てきたような嘘」なんでしょうね。
旧暦の十五日(討ち入り時はもう日付が変わっていたとか)はもちろん満月。件の古舘一郎のテレビもこれを取り上げて「天然の照明」なんて言ってました。
史実で、当夜が晴れていたかどうかはともかく、満月だったというのは間違いのないところです。
♪月も夜空に冴え渡る~(三波春夫『俵星玄蕃』)
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5. Mikiko- 2016/12/15 07:52
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隣家
↓土屋逵直(つちやみちなお)という旗本でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E9%80%B5%E7%9B%B4
提灯を掲げたのは、史実のようです。
でも、自邸の警護のためというタテマエです。
塀の前には射手を並べ、塀を越えてくる者は、誰であろうと射落とせと命じてます。
実際に塀を越えて逃げてくる者がいたとしたら、それは吉良家の人間しかいません。
でも、「誰であろうと」と言うことで、どちらかに荷担するものではないというタテマエなわけです。
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6. 本音と建て前HQ- 2016/12/15 17:20
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タテマエは自邸警護
それはそうです。浪人の俵星ならともかく、仮にも旗本(でなくったって、武家なら誰でも)、表だって赤穂の味方をするわけにはいかんもんね。
でも、当主の逵直はじめ、土屋家の家臣は内心、喝采を上げてたんでしょう。「ついにやったか! 浅野」というところでしょうか。
しかし史実だとは思いませんでした。が、こういう類のエピソードはわんさとあったんでしょう。で、虚実取り混ぜて『忠臣蔵』が出来上がった、と。
♪赤穂浪士の邪魔する奴は 何人(なんぴと)たりとも通さんぞ
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7. Mikiko- 2016/12/15 19:58
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吉良家で何かあれば……
それは、浅野家遺臣の討ち入りだということは、当時の江戸市中の共通認識だったようです。
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8. 愛読書は忠臣蔵HQ- 2016/12/15 21:49
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↑まあ、それほどでも
忠臣蔵
映画やドラマは幾本も見ましたが、久しぶりに本を読むかな。
池宮彰一郎『四十七人の刺客』。これはユニークです。
松の廊下の顛末や、忠義・忠節といった要素をばっさり切り捨て、赤穂側大石vs.吉良側色部又四郎(米沢藩江戸家老)の知略・謀略戦という観点から書かれた、かなりドライな赤穂事件物語です。
あ、これも映画化されていました。監督は市川崑、主演は高倉の健さん。ただ、例によって原作をかなりいじくってます。