2016.12.8(木)
血の気の引いた顔で頭上を窺う蔓に、再び嘲る様な女の声がかかった。
「あはは、さあ頑張って急所を外してごらん。いくよ!!」
女の声が殺気立って蔵の中に響いた時、
「まて!」
小柄な若侍が中に走り込んで来た。
「桔梗様!!」
蔓がそう叫んだとたんに、二つの新たな輝きが大石桔梗を襲った。
鋭い金属音が部屋の中に響いたかと思うと、二つの輝きが宙に舞い上がる。
両手に篝火に光る大小を構えて、土間に落ちた二本の金串の間に桔梗が立っていた。
「おっとこいつは驚いた。噂に聞いた丹波の二刀流のお出ましかい」
「へえ……、まだほんの子供の様だけど……」
その声に向かって桔梗は目を怒らせた。
「卑怯な! 姿を現せ!!」
蔓も急いで小刀片手に立ち上がると、桔梗と背中合わせに身構える。
「あはは、まだ若いのにそう死に急がなくてもいいじゃないか」
「可愛い顔して……、もうすることは済ませたのかい? まだなら死ぬ前にあたしたちが男にしてあげようか……?」
「うふふ、それとももう、そのくノ一に手ほどきしてもらったかな……?」
「黙れ!!」
桔梗の叫びが蔵の中に響いた。
「姿を現して尋常に勝負しろ!! それとも、ここで何をしているか、そして鶴千代様をどこに隠しているのか白状しろ! さすれば命までは取らぬ!」
「桔梗様!」
蔓は桔梗の気迫に一層その背中を押し付けた。
一瞬の静寂の後、
「あ、あっはははは……。そ、そいつは……」
大きな女の笑い声が上がった。
「有り難き幸せ……。あはははは……」
桔梗と蔓は頭上の暗がりをじっと見つめる。
「可愛いお顔に免じて、尋常のお言葉をいただいた上は、少々手の内を明かすと致しましょう」
「わたくしどもは今、二人おりますよ。先ほどは各々右の手に一本ずつ握って、じっとしたまま投げました」
蔓は首をひねって背中の桔梗の表情を窺う。
「次は少々動きながら一本ずつ投げてみましょう」
「うふふ、このくらいまでは大事ありませんかね……」
桔梗は女の言葉にじっと耳を傾ける。
「次はじっとしたまま、各々左右一本ずつ持って投げてみましょうか」
「さあお楽しみ。四本得物が参りますよ」
「き、桔梗様……」
先を読んだ蔓が桔梗に小声で囁く。
「次は動きながら同じことを……」
「く……」
大小を掴んだ桔梗の両手に自然と力が入る。
「まあ大概の相手はこのあたりで深手を……」
「かわいそうにね……」
桔梗は悲壮な顔つきで頭上を見上げたが、決然として口を開いた。
「ようし、なんと言おうとお前たちの得物が尽きるまで凌ぐまでだ。その時は覚悟せよ!」
「桔梗様!」
蔓も桔梗の言葉でその切れ長の目に輝きを取り戻す。
「ほう思ったより骨のあるお侍だ」
「では最後に、私どもは動きながら左右二本ずつの得物を同時に投げられます。うふふ……、もっとも……、それを投げた相手はおりませんが……」
「少々お手間は取らせますが、金串は嵩張らぬので、今のが二回りは続きますよ」
蔓は油断なく桔梗と背を競り合わせながら唇を噛んだ。
“このままでは……”
最後まで持たぬと蔓は直感で感じたのである。
「では参ります」
「あははは、さあこっちこっち!」
桔梗と蔓は女たちの笑い声が頭上で動き始めたのを感じた。
二人は悪戯に身を動かさず、じっと襲い来る物の気配に気を集中した。
いきなり微かな気配が蔵の空気を切り裂く。
桔梗と蔓の刀が同時にきな臭い音を立てた。
二本の金串が二人の足元に落ちる。
「あはは、手慰みにはちょうどいいでしょう?」
「さあ次は倍の四本になりますよ」
蔓は女たちの声を聞きながら、蔵の小屋裏の隅々に険しい視線を巡らせた。
女たちの居場所を見つける他に、蔓には別の考えがあったのである。
“頼む……”
蔓が祈る思いで屋根裏を見た途端、鋭い光の束が桔梗と蔓を襲った。
思わず互いの背が離れて、耳を指す金串の音が響いた。
三本の金串が土間に散って、慌てて見据えた蔓の目の前では転がった桔梗の袖を一本の金串が貫いていた。
蔓はもう迷わず懐に手を入れた。
何か小さく折りたたんだものを唇に咥える。
「あっははは、ああよかった。色男に怪我させたかと思って、肝をつぶしたよ」
「でももう先が見えたかね。可哀そうだけど……、ん?」
何か不振な動きを蔓に感じて、春花と秋花は口を閉じた。
薄い銅の曲げ物を挟んだ蔓の唇が細かく震えていた。
微かに空気を揺るがす響きが小屋の空気に広がっていく。
突然空気を震わす不気味な音が沸き起こった。
“よし!”
小屋裏の暗がりを見上げる蔓の目が輝いた。
「な、なんだ!?」
梁の上に陣取った春花と秋花も思わずその気配に周りを見回す。
「あ! 春ちゃん、蜂だ!!」
小屋裏に巣くっていたいた蜂が目を覚まして、外敵に立ち向かうため一斉に飛び立ち始めたのである。
「桔梗様、早く!!」
間髪入れず、蔓は桔梗の手を引くようにして出口へと走った。
自分の後から桔梗が踊るように蔵から飛び出すと、蔓は時間稼ぎに蔵の引き戸を締める。
「早く、こっちです!!」
煌々と月明かりが照らす海端の石積みを、二人の姿は山に向けて暗い影を落とす森の中へと消えていった。
もう薄っすらと曙が東の空に浮かび始めている。
二人は各々獣の毛を編んだ寝袋に身をくるんでいた。
時折気の早い山鳥の声を聞きながら、蔓は桔梗に口を開く。
「あれほど何かの気配がしたらお逃げになるよう言いましたのに、なぜ私の言うことをお聞きにならなかったのですか?」
咎めるような蔓の口調に桔梗は小さな声で答える。
「だ、だが、お前の身が危ないと思ったゆえ……」
「それは間違いです!」
思わず蔓は強い口調で言った。
「義侠心でことを運べば、忍び相手には大変なことになります」
桔梗は黙って目の前の女郎花を見つめている。
「生き永らえた物が役目を引き継いでいかねば事は終わってしまいます」
桔梗は寝返りを打って蔓に背を向けると、相変わらず黙ったまま寝袋にくるまっている。
「お判りになりましたか!?」
「うん……」
厳しく教えたつもりが、すねた返事に思わず蔓は苦笑いをこらえる。
「桔梗様……?」
もう寝入ったのか桔梗の返事はない。
「桔梗様、私は少し寒くなりました。そっちへ行っていいですか……?」
黙ったままの桔梗に、蔓は自分の寝袋を抜け出した。
背中から桔梗の寝袋に身を滑りこませる。
肩に両手を置いて互いの身体を寄り添わせた。
「ほら、こうすると暖かいでしょう?」
突然桔梗は身体をひねって蔓の方を振り向く。
「お前、先ほど腕に負った傷の具合はどうだ?」
腕を確かめようとする桔梗から蔓は急いで身を引いた。
「私の血に触ってはいけません!」
強い口調に桔梗は驚いて蔓の顔を見る。
「私の身体に流れている血は、普通の人の血ではありません。唾も小水も、そして……、涙も……」
桔梗はじっと蔓の目を見つめた。
固い表情を浮かべた桔梗に、やがて蔓の目が優しく笑いかけた。
「しかしご心配いただき有難うございます。さあ、私の頬に上から……、その方が楽ですよ」
桔梗はそっと蔓に頬を重ねた。
抱き合った蔓の身体からは、ほのかな暖かみと共に安らかな眠りに誘う優しささえ伝わってくるような気がしたのである。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2016/12/08 07:51
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金串
これで思い出したのが、小学校のときのこと。
男子の間で、たぶん五寸釘だと思いますが、大きな釘の先をトンカチで叩いて平べったく尖らせるのが流行ってました。
釘があんなに簡単に変形するのには、ちょっと驚きました。
男子と云っても、小学生ですからね(高学年でしたが)。
で、尖らせた釘をどうするかと云うと……。
まさしく、忍者のように投げて、板に突き立てるんです。
水平に投げたら危ないのは小学生でもわかるので、基本的に床に向かってです。
といっても、当時でも、小学校の床は木製ではないので、誰かが持ちこんだ厚い板を床に置いて投げてました。
あんなことをして何が面白いのか不思議でしたが……。
やはり、尖ったものを突き立てるというのは、男子の本性なんですかね。
そう云えば、今朝のニュースで……。
増水して水が流れる道路を、鮭が川と間違えて遡っていく映像が流れてました。
何か、同様の哀れさを感じずにはおれませんでした。
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2. しんめんたけぞうHQ- 2016/12/08 17:00
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二刀流
ときますと二天一流、宮本武蔵ですが……生国は播磨説、美作説など諸説あるようです。美作国宮本村、は有名ですね。
丹波、はあまり聞きませんが、いずれにしても中国地方の日本海側ということのようです。丹波、播磨は中国というよりも近畿でしょうけど。
>尋常に勝負!
で、姿を見せぬは卑怯!とでも続くのでしょうか、桔梗様。
で、忍びに卑怯は笑止千万、とでも応えるかな、春秋花ちゃん(勝手に会話させてんじゃねえよ)。
金釘勝負
わたしらもやりました。
ただし、突き刺す先は板ではなく、地面。
で、突き立った釘の跡をつないで、地面に折れ線を描いていくわけです。
相手の線に囲まれて、釘を突き立てようがなくなった方が負け、というルールだったかなあ。すっかり忘れてました。
用いる釘は、いわゆる五寸釘。小学生の手には余る様な長大な釘でした。
どこへ行く、酒! じゃなくて鮭!
やめてくれよ、切ない話はよ。
こちらでは、琵琶湖から川を遡上するビワマス(琵琶鱒)の話題が。
もちろん、産卵のために遡るわけですが、河川改修が進み、なかなか苦労しているとのこと、ビワマスくん。
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3. Mikiko- 2016/12/08 20:02
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二刀流と云えば……
大谷くんは、来オフ、メジャー移籍のようです。
来シーズン、故障しないことを祈るのみです。
先日、NHK-BS『球辞苑』で、スイッチヒッターの特集をやってました。
昔はけっこういたようですが、今はほとんど見られないとか。
右打ちと左打ち、それぞれ練習しなければなりませんから……。
単純に考えても、人の2倍はやらなきゃならないわけですね。
スイッチヒッターだった、松永浩美という元選手がしゃべってました。
頭の回転の速い人だなと思いました。
頭が器用じゃないと、両打席で打つのは無理なのかも知れませんね。
五寸釘の手裏剣。
↓全国的にあったようですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%98%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%95
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4. 右投げ左打ちHQ- 2016/12/08 21:28
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大谷武蔵
メジャーで投・打、どちらで行くかは興味津々、というところですが、もちろん入団したチームによるでしょう。ア・リーグかナ・リーグかにもよりますしねえ。
ただ、客を呼べる選手になるのは間違いないでしょう。
スイッチヒッター
野球漫画全盛時には、当たり前のように登場しました。投手が左右どちらかで、それに合わせて打席を変えるわけですね。ただまあ、今の野球では投手がたとえば右だと左打席が有利、とは単純にはいかないようです。
それより、打席から一塁への距離は明らかに左打席の方が短いわけで、特に俊足の選手では絶対に左が得です。そういう意味では、今後、スイッチヒッターというのは現実には出ないかもしれませんね。
あ、そういえば、漫画でスイッチピッチャーというのがいたなあ。
で、スイッチヒッターとスイッチピッチャーが対戦した場合、どちらが有利か、という問題もありました。
打者が打席で構えてから投手が投げるわけですから投手有利のようですが、打者の方は、投手が投球動作に入る前にタイムを掛けて打席を移動できますから……。
ひょっとして、千日手?
釘手裏剣
遊び方のバリエーションを知りたいところですね。
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5. Mikiko- 2016/12/09 07:31
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スイッチヒッターの衰退
理由のひとつに、変則フォームのピッチャーが減ったこともありでしょう。
昔は、左バッターのワンポイントリリーフに、左のアンダースローとかがいたようです。
今オフ、巨人に移籍した森福投手は、左のサイドスローのようですが。
スイッチピッチャーの投法。
プレートの手前で、足を揃えて立ちます。
グラブは背中に回しておきます。
この時点では、どちらで投げるかわからない。
で、どちらかの足を踏み出して、プレートを踏むと同時に投球動作に入る。
これなら、タイムをかける間がないんではないの?
ボークですかね?
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6. ドリームボールHQ- 2016/12/09 12:21
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スイッチピッチャー問題
「投手は、投球前には、①『投手板に触れた状態』で②『いったん静止』しなければならない」という決まりがあります。で、この静止状態から少しでも体を動かすと投球動作に入ったとみなされ、③動作を途中で止めてはいけません。①~③のいずれに違反してもボークです。
ご提案の投球法は、①に反していますので、明らかにボークですね。
実際の試合でよく生じるボークは、②違反が多いようです。いわゆる「二段モーション」によるボークは③違反ですね。
こういうのはどうでしょう。
両足共に投手板に乗せる、つまり、両足で投手板を踏む。で、どちらかの足を踏み出して投球動作開始。これなら、打者はタイムを掛けられないし、左右どちらから投げてくるかの判断も遅れるでしょう。
しかし、これで威力のある球が投げられるとは到底思えませんね。
左のアンダースローと云いますと、水島新司『野球狂の詩』のヒロイン、水原勇気。
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7. Mikiko- 2016/12/09 19:41
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①『投手板に触れた状態』
これに違反するというのは、どういう動作を云うんですかね?
わたしの提案投法は、②『いったん静止』に違反してると思います。
でも、この「静止」というのも、定義が無ければ曖昧ですよね。
人間の体が、完全に静止出来るとは思えません。
どの程度の状態を「静止」と云うのでしょうね。
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8. 審判は神だ!HQ- 2016/12/09 22:39
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ボ~~~ク!
①~③を順にすべてこなさないとボーク、ということです。
静止
ボークの判定で最も揉めるのがこれです。
仰せの通り、死体でもない限り“完全静止”なんてあり得ないですからねえ。審判員により、それぞれ恣意的な判断になるのは当然です。
それが「人間のやる野球」ということなのでしょうか。
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9. Mikiko- 2016/12/10 08:06
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アメリカンジョークに……
こんなのがあります。
天国と地獄で、野球の対抗試合をすることになりました。
天国チームのファンは、天国に召された殿堂入り選手の名前を並べ立て、圧勝だと威張ります。
それに対し、地獄チームのファンが、ぼそっと応えました。
「こっちには、審判が全員来てるんだぜ」
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10. 地獄の沙汰も……HQ- 2016/12/10 10:43
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↑金次第
審判は亡者だ!
おもろい、座布団1枚。
そうかあ、審判って極悪人だったのか。いや、大嘘つき、かな。