2016.10.27(木)
汗まみれの人足たちの前で腰高の支那服が青く輝いている。
薄暗い建物の中に、米俵より多少大きめの袋がうず高く積み上げられた。
「どうやら全部運び終えたようだな」
鷹の声に妖艶な笑みを浮かべた春蘭が振り返る。
大きく縦に裾が割れて、そこから長く艶めかしい二の足が覗いた。
「ええ、全部終わりました。では船長たちには約束通り……?」
「ああ、十袋でいいだろう」
春蘭が何やら支那語で声をかけると、途端に笑顔になった男たちが袋を担いでいそいそと部屋を出ていく。
その様子に目を光らせながら、鷹は背後の飛燕に声をかける。
「あいつらが物を積んで港を出ていくまで見届けるんだ」
無言で飛燕がうなずいたとたん、
「な、殴り込みだ!!」
表で人足の叫び声が上がった。
鷹たちが表に走り出ると、袋を抱えて座り込んだ人足たちを十四、五人の男たちが取り囲んでいた。
「ここらの港でうちに挨拶なしで仕事してる奴はいないんだ。お前たち新顔の様だが、ここんところ黙ってこそこそ荷を動かしてやがって、そんな礼儀もわきまえていねえのか!」
おろおろとうずくまった人足たちを見ながら春蘭が鷹に囁く。
「地元の貸元の様ですが、ここのところ何度か挨拶に来るよう使いをよこしてたようです」
「なるほど……。ではそろそろ、手が出せぬ相手だということを教えねばならんな」
鷹の言葉に春蘭は深くうなずいた。
「最初に少しきつめに教えてあげましょう」
愛らしい顔立ちをみるみる非情に移ろわすと、春蘭は男たちの方へ足を進める。
続けて進もうとした飛燕を鷹は片手で止めた。
「まあ待て。ここはお手並み拝見といこうではないか」
足を止めた飛燕は、懐の得物に手を添えたまま前方の景色を見つめる。
逆に男たちの後方からは、どこで油を売ってきたのか春花秋花の二人がふらりと姿を現した。
目の前の光景に一瞬驚いた表情を見せたが、すぐさま退屈凌ぎの出し物に出会ったかのように相好を崩して見物を決め込む。
「私たちは誰にも愛想を使うつもりはありません。きちんと丹波のお国にもお許しをもらっているし、堂々と荷を扱うつもりです。しかし、力づくで言うことを聞かせようとするのなら、試してみなさい。ただし、覚悟がいりますよ」
突然現れた若い女に、男たちは顔を上げた。
伸びやかな肢体を支那服に包んで、長い二の足で立ったその姿から、まさに震い付きたくなるような妖しい女の魅力を発散していた。
世話役と思われる男は一瞬目を瞬いたが、思い出したように顔を歪めて罵声を発する。
「なんだこのアマ。丹波が怖くって渡世が出来るかい! 舐めた真似しやがって、とりあえずお前は置屋に送ってしこたま稼いでもらおうじゃねえか。ただその前に、俺たちがたっぷりと仕事前を教えてやるからな。あっははは……」
春蘭はそれを聞くと微かに笑みを浮かべて背袋に手を伸ばす。
何やら袋の上に覗いていた柄を両手で引き抜くと、鋭く空気を切り裂く様な音が巻き起こった。
春蘭の両手には、各々十尺ほどの長さの革の鞭が握られていた。
「ふふふ、私に指一本でも触ることが出来たら、思う存分楽しませてあげますよ。でも油断をすると、この世の見納めになるかも……」
色めき立った男たちが春蘭を取り囲んだ。
各々の懐から抜き出された短刀が日の光にまぶしく輝く。
廻りに油断のない視線を巡らせながら、布で包まれた春蘭の両足のかかとが微かに地面を離れた。
爪先立ちのまま、まるで踊りでも踊るかのように春蘭が二三歩動くと、男たちがそれに続けて揺れ動く。
小さく両手首を動かしながら、二本の鞭が地面の上で蛇の様にうねった。
「わあ!」
虚を突いたかのように一人の男が突進した途端、鋭く春蘭の右手首が動いた。
眼にも止まらぬ速さで跳ね上がった鞭が男の顔面を襲う。
「ぎゃあ!!」
男は顔面を両手で覆って地面に転がった。
「うひゃああ!」
何やら自分の前に転がってきた物を見て、人足の一人が悲鳴を上げた。
目の前に転がって来た物は、顔面を叩かれた男の目の玉だった。
思わず後ずさりする仲間を見て、世話役が大声を上げる。
「え~い、こんなアマ一人に何やってんだ! 一斉にかかって叩き殺しちまえ!」
その声を聞くと、春蘭は頭上高くに右足を上げた。
そのまま後方に背を逸らすと、円を描く様に右足が後ろの地面を捉える。
二度ほど後ろに回転して距離を取ると、春蘭は両手に鞭を構えて男たちを見据えた。
怒声と共に突っ込んでくる男たちの前で、左右の鞭が空気を切り裂いた。
「ぎゃ!!」
四、五人一度に肉をそがれた顔や腕に血しぶきが上がる。
続けざまに春蘭が右手を振るうと、その後ろで立ちすくんだ男の首にまるで生き物の様に一本の鞭が絡まった。
引き寄せられて前のめりに首を伸ばしたところに、扇のように舞った長い足が食い込む。
「ぐえ!!」
骨がきしむ鈍い音と共に男は地面に突っ伏した。
振り戻した二本の鞭を両手にして、爪先立ちのまま春蘭は世話役の男に迫っていく。
飛燕は傍らの鷹にちらと視線を送ると、もう黙って自分の持ち場に戻っていく。
その様子に鷹も薄っすらと片頬を緩めた。
「くそ! お、覚えてやがれ!!」
そう捨て台詞を残して、世話役は一番に走り去っていく。
その後を追って走り去る三下たちを見送りながら、春蘭はゆっくりとその両かかとを地面に降ろした。
鷹はゆっくりと春蘭に近づいていく。
「ご苦労。では地下の方を見せてもらおうか」
「はい。ではこちらへ……」
二人は荷物を入れた倉庫の裏手へと歩いていく。
「もう踊りの稽古は終わったのかい?」
前を通り過ぎようとした春蘭に秋花のからかう様な声がかかった。
「あなたたち……」
立ち止まった春蘭が秋花の前に詰め寄る。
「見張り役がどこにいってたのですか? あんな邪魔者に入り込まれて」
春蘭の人差し指が秋花の胸を指した。
秋花はその人差し指を右手で掴むと、突然その口に咥える。
驚いた春蘭の顔を見つめながら、秋花の舌がぬるりと指の周りをなぞった。
口から出してその濡れ光った指を互いの顔の前に掲げる。
「この指をあたしに欲しいよ……」
驚きで口を開けたまま、目を見開いた春蘭の顔が微かに赤らんだ。
急いで指を振り払った春蘭は鷹と一緒に歩き去っていく。
「あっははは……」
その姿を見送る秋花が声を上げて笑った。
「ありゃ、だいぶ溜まってるね。そのうちご相伴にあずかることがあるかもしれないよ」
横で見ていた春花もその後ろ姿に呟く。
「あんた」
「なにさ……?」
「あたしを語ってあの子に近づくんじゃないよ」
秋花の言葉に思わず春花が噴き出す。
「あっははは、そこまでは考えなかったよ。もっとも、向こうにとっちゃ、どちらが近づこうが同じだけどね。あはははは……」
的を得た返事に、仕方なく秋花も苦笑いで春花の肩を小突いたのであった。
「じゃ、これを……。部屋の真ん中までは入らない方が……」
「わかった」
鷹はそう返事をして厚手の布で鼻と口の周りを塞いだ。
重い木の扉がゆっくりと開いて、二人は戸口から中を見回す。
窓のない薄暗い部屋の中にうっすらと白い霧がたなびいていた。
ぼんやりと蝋燭の灯がともる中に何人か女の姿が見える。
じっと床の上に横になっている者、壁にもたれて陶然としている者、そして水パイプから白い煙をゆっくりと吸っている者。
「あれが、阿片の教師の載寧です」
春蘭の視線の先に、四十歳前後のふくよかな女が見えた。
両脇に若い女を抱いて、両足を投げ出したまま、壁に背をもたれて座っている。
「あの女、大丈夫なのか……?」
そんな鷹の疑問に春蘭は涼し気な笑みを返す。
「寧は小さな子供のころからこの役目の為に育てられました。血筋と長い歴史を持つ秘法で、この煙の中でも地獄と極楽の中庸に生きていられるのです」
「ふうむ……」
不思議な話に考え込む鷹の横で、春蘭は載寧に声をかける。
「載寧」
春蘭の呼びかけにその女は虚ろな目を開けた。
鷹に小さく会釈して、そのまま春蘭と何やら言葉を交わしている。
「ちょっと見てほしいと言っています」
載寧は鷹たちに意味深な笑みを漏らすと、左脇の若い女の身体を揺らした。
うっすらと虚ろな目を開いた女に載寧は顔を近づけていく。
よく見れば上品な顔立ちの若い娘は、まるで魚が餌を欲しがるようにパクパクと口を開いた。
載寧が口を開くと、驚いたことに若い娘はその唇に武者ぶり付いていく。
ふっくらとした舌を吸いだして、夢中で口の中に含みいれる。
載寧はたしなめる様に娘から舌を引き抜くと、まだ開けたままの娘の唇の中にたっぷりと唾を流し込んでやる。
喉を鳴らしてその甘露を飲み下した娘は、身を起こしてゆるく載寧の身を包んでいる合わせの帯を解き始めた。
まだ匂い立つように豊かな女の魅力を保った載寧の裸身が現れる。
その動きで目を覚ました右側の女も、載寧の右の脇の下から乳房の膨らみまで舌で舐め上がった。
載寧の両足を開かせた若い娘がそのまま下半身に顔を埋めていく。
両手で顔を覆う仕草で恥ずかしさを表すと、載寧は笑いながら押しやるように指を動かして鷹たちに部屋から出て行けと伝えた。
その仕草を鼻で笑った春蘭は出口へと向かう。
みっちりと右の女と唇を重ねる載寧の姿が重い扉の向こうに消えた。
口元から熱い布を外すと春蘭は鷹に口を開く。
「載寧の横の女たちは、丹後の検査役の娘たちです」
「ほう、なるほど」
「たった二週間で載寧があのようにて手懐けてしまいました」
「奥方の方も春花がやっと拝謁になったそうなので、ここ二三日の間にお床をご一緒すれば直にここへ……」
「そうか……」
鷹はその冷徹な顔に微かな笑みを浮かべた。
「しかし阿片がそのように人の心を支配してしまうとはな……」
春蘭はゆっくりとその美しい顔を鷹に向ける。
「この世でたった一つ、色欲に勝るものはあの煙だけです」
思いがけぬ低く暗い声に、鷹は春蘭の顔を見た。
「すべての地獄が極楽に変わる……、たとえ死ぬことさえ喜びの内に……」
さすがの鷹も背筋に冷たいものを感じた。
「ではお前はそろそろ運び込まれた材料で阿片を作り始めるのだな」
「はい」
再び愛らしい表情に戻った春蘭に鷹は続ける。
「我らが目指すものは、御禁制の品の密売や人さらいなど小さいことではない。世の中を操って我らの天下を作るのだ。この煙が人の地獄を極楽に変えるようにな」
鷹はその瞳に常軌を逸した輝きを宿して、暗い地下牢の先に恐ろしい野望を思い描いていた。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2016/10/27 07:52
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鞭の威力を調べようと思い……
動画を探しました。
残念ながら、戦闘用の武器として使ってるような動画はありませんでした。
その折、「鞭対ヌンチャク」という動画の関連で、なぜか野球の動画が入ってたので見てみました。
これが、大傑作。
高校野球の埼玉予選でした。
そこには、『ドカベン』の殿馬をリスペクトして止まない一人の球児の姿が。
動画の題名は、「ヌンチャク君のバットさばきを見よ!」。
↓“秘打”の世界を、どうぞ御覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=LLtnSVEcXk8
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2. さあ!鞭が入ったHQ- 2016/10/27 17:32
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鞭
競馬の鞭はともかく、武器としての鞭は見たことありません。
マンガで見たことはあります(お前の知識はマンガだけや)
それによりますと、飛び道具はともかく、ほとんど無敵ですね。
速いし、どっからくるかわからんし……。
よっぽどの体術の達人でもない限り、避けるのは不可能でしょう。
で、その威力たるや……。
桑原桑原。君子危うきに近寄らず。
ヌンチャク君
小うるさい主審だと、クレームつけられるんじゃないですかね。
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3. Mikiko- 2016/10/27 19:51
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マンガで鞭と云えば……
妖怪人間ベラですね。
一対一なら、間合いを取りながら使えますが……。
集団戦では難しいと思います。
味方に当たる危険もあるし。
相手に掴まれたら、それっきりでないの?
ヌンチャク君。
その後、高野連が注意処分を与えたそうです。
「遅延行為」「危険行為」「余計なパフォーマンスはするな」とのこと。
でも、動画を見る限り、「遅延行為」ではないでしょう。
投球の合間でやってますもんね。
ま、仕方ないでしょう。
お咎めなしにすれば、悪ノリして真似するバカが必ず出ますから。
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4. ヌンチャクバットHQ- 2016/10/27 23:08
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妖怪人間
一度も見ていないからなあ。
鞭なんて持ってるのか。
集団戦では使いにくい
それはそうですね。
>相手に掴まれたら……
その「掴む」というのが至難の業ですがね。
ああ、やはり
>余計なパフォーマンスはするな
高野連の本音はこれでしょうね。
甲子園で見たかったものですが。
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5. Mikiko- 2016/10/28 07:29
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ベラ
五輪真弓が似てると言われてたとか。
↓鞭を持ったベラ。
http://blogs.yahoo.co.jp/kenia0120love/39964557.html
ヌンチャクくん。
ぜひ、プロに行ってもらいたいものですが……。
実力的に難しいようです。
代打専門だったみたいです。
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6. ♪恋人よ……HQ- 2016/10/28 11:29
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鞭ベラ
なるほど。
普段はブレスレットにしているそうです。
それにしても、妖怪人間って、指が3本なんだね。
五輪真弓云々は……コメントを控えたいと思います。