2016.10.25(火)
道代と志摩子、それに秀男の乗る国鉄の普通列車は、轟音を上げて踏切を行き過ぎた。それと同時に、前方から赤い光が志摩子の目に近づく……と思う間もなく志摩子の後方に飛ぶように行き過ぎた。進行方向に背を向けている道代には、志摩子の視界を外れ列車後方に遠ざかる赤い光を、かろうじて見て取ることができたが、それもほんの束の間のことであった。
その赤い光は、踏切の警報器上部に水平に取り付けられた二連の警告灯が交互に点滅する光であったが、そのようなことは道代と志摩子にはわかるはずもないことであった。
警報機の上げる甲高い警報音が、列車の走行音を切り裂くように三人の耳に届いた。
音とは、振動である。そして、その音源に移動しながら近づく者には振動数が大きくなる。言い換えれば、高い音として聴く者には認識される。そして、音源から遠ざかる者には振動数は小さく、低く聞こえる。オーストリアの物理学者、クリスチャン・ドップラーが見出したドップラー効果である。
三人の耳に伝わる音は甲高く、そして踏切を過ぎてすぐに一気に低くなった。
志摩子は、警報音に逆らうように、少し甲高い声を上げた。
「まあー、賑やかなことねえ」
秀男が、宥めるように声を掛けた。
「まあ、踏切は賑やかなもんですからなあ」
「ふみ、きり……?」
「へい。鉄道の線路と、道路が交差するとこですな。足で踏む、切った張った、と書きますなあ」
「線路と道路て、危なないのん?」
「せやから姐さん。道路の方、つまり自動車の方をぜんぶ止めるんですな。列車優先、ゆうことで」
「へえ。そら嬉しなあ」
「さっきの賑やかなんは、自動車への警告ですわ。『列車来まっせ、危のおまっせ、止まっとくれやっしゃ』てとこですわなあ」
「へえええ」
志摩子に合わせ、道代も声を上げた。
二人は顔を見合わせ微笑みあった。
志摩子が秀男に問いかけた。
「ほんで秀はん」
「へい」
「さっきの、ふみきり、やったかいな。何ちゅう道路と、えーと、交わっとるん?」
「あこは……」
秀男は軽く窓外に目を遣った後、答えた。
「四条通ですなあ」
「へえ、四条。ひっちょ、はっちょからもう四条まで来たん?」
「そうですなあ。まあ、なんぼも距離はおまへんけど」
「ほうか……まあ、秀はん。この国鉄はんの列車、さっきの市電より、はよ(速く)走っとるんちゃう?」
秀男はにこやかに答えた。
「ほらあ姐さん。比べ物になりまへんわ。まあ、国鉄はんと比べたったら、市電がかわいそですわなあ。ていうより、それぞれ役割がちゃう、ゆうことですかなあ」
「ふうん」
志摩子は、軽く斜め上を見上げる。
祇園停留所から京都駅前まで乗った京都市電。道代にはもう遠いことのように思えた。
(姐さんも……さっきの市電、思い出してはるんやろか)
志摩子の様子を窺い見ながら、道代はそんなことを考えた。
列車の速度が落ちた。三人の体に、大きな、進行方向への力が加わる。道代と秀男は背凭れに背を押し付けられ、志摩子の体は前のめりになった。
体を立て直しながら秀男は声を上げた。
「お、着きますなあ。二条駅です」
「さっきの駅は、知らん間に過ぎとったし……今度はちゃんと見とかんとなあ」
列車は、さらに速度を落としながら二条駅のホーム脇線路を進む。速度は更に落ちる。その時、ホームを挟んで向かい側に止まっていた列車がゆっくりと動き始めた。京都駅方面に向かって進んで行く。
こちらは山陰本線の下り、あちらは上り。志摩子は右に、道代と秀男は左に顔を向け、ホームを挟んでゆっくりと速度を上げて行く上り列車を見送った。
上り列車が見えなくなるとほぼ同時に、三人の乗る下り列車は二条駅に停車した。
「二条駅です」
秀男は律義に声を掛けた。
志摩子が答える。
「秀はん。二条……ゆうことは、二条の通りが近くにあるんかいなあ」
「へい、そうです。こっからは見えまへんけど、この線路と直角に、二条通は通っとります。向こうからこっちへ向けて、でんなあ」
秀男は、向こう、と列車の右手を指さした。
「しやけど……。姐さん。あこの、あの木ぃがぎっしり植わって、森、ゆうか、でっかい生け垣みたいになってんのがおまっしゃろ」
秀男は次いで、同じく列車の右手、先ほどより少し進行方向寄りを指さした。
志摩子と道代が目を遣ると、確かに鬱蒼とした森のような、巨大な生け垣のようなものが見えた。道代は、そちらに目を遣るため、身を捩らねばならなかった。
「あの中が二条城ですわ」
「にじょう、じょう……」
「二条にあるから二条城。そのまんまの名前ですけんど、徳川の家康はんが建てはった、有名な城ですなあ。まあ、たてもん、ゆうか城としてはほんまにちっこい造りなんですけどなあ。現に、こっからは木ぃに隠れて、たてもんは見えまへんわ」
「ふうん。二条城、なあ」
「出入り口、ゆうか正門はちょうど反対側になります。ほんで、二条通りは、その正門あたりで終わっとります。つまり、二条城で遮られとる、ゆうことになるんですな」
道代と志摩子は声を揃えた。
「ふううーん」
「まあ、いろんなことがおました城ですなあ。あの、豊臣の秀頼はん……」
「太閤はんの息子さんですやろ」
「そうですなあ。その秀頼公が、家康はんと初めて対面しやはったんが二条城ですわ。秀頼公、まだお若いのにえらい貫禄やったそうで、家康はんは内心ビビりはったそうですなあ。まあ、それが結局、家康はんの大坂城攻め、豊臣家滅亡、に繋がるわけで……」
秀男はこういう話題が好きなのか、口はどんどん滑らかになってゆく。
道代と志摩子は、そっと顔を見合わせた。
(なんや秀はん……)
(へえ、姐さん)
(こないな話、好きなんかなあ)
(そうどすなあ)
(ほっといたら、どこまで……)
と、志摩子が考えたとき、先ほど、二条駅に到着した時とは逆向きの力を感じた。進行方向に向いて座る志摩子にとっては後ろ向きの力。志摩子の体は背凭れに押し付けられた。志摩子は体に力を込め、背凭れから背を浮かせた。帯を潰さないための気遣いであった。
志摩子は、改めて右側の車窓に目を遣った。二条城を取り囲む、黒々とした木々の群れがゆっくりと後方に行き過ぎて行った。
駅を出外れてすぐ、先頭の機関車が汽笛を鳴らした。ほぼ同時に、志摩子の体は右向きの力を受けた。志摩子の右は空席である。ぼんやりしていた志摩子は、右手を座席に付いて体を支えた。
「秀はん。また、曲がっとるんかなあ」
「そないです。さっき、京都駅を出てすぐは右回りでしたけど、今度は左回りですなあ。これでまた、西へ向けて走ることになります」
「ふうん」
志摩子の頭の中に、簡単な図が出来上がった。
(はじめは西向き)
(ほんで、北向き)
(ほして、今度はまた西向き、でええんかな)
それはその通りであった。国鉄山陰本線は、京の町中を大胆に区分するように縦横に走っている……。
志摩子は、先ほどから妙な暑さ、というか熱さを体に感じていた。その熱源は坐る座席。志摩子は、まさに尻を炙られるような熱気を感じていた。もじもじと尻を動かしながら、声を上げた。
「なあ、道」
「へえ、姐さん」
「なんや……暑うない?」
「へえ。うちはそれほどでもおへんけど……。窓開けて、風入れましょか、姐さん」
「せやなあ。そないしてくれるか」
道代は、軽く腰を浮かせ、窓を上げて開けようと、窓の両下隅にあるフックに両手を掛けようとした。
秀男が慌てたような口調で止めた。
「ああ、あきまへん。窓開けたら、あきまへんで」
コメント一覧
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1. 国道171号線HQ- 2016/10/25 11:12
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↑わたしんちのすぐ近くを走る国道(何の関係が)
>足で踏む、切った張った
『踏切』の文字を説明する秀男のセリフです。
どうも今回、道代と志摩子は全くのもの知らず、という可哀想な役回りになっています。嵯峨野行の道中風景を説明するための損な役回り。誰かがやらなあきまへんので辛抱しとくなはれ、お道はん、小まめ姐さん。
で、今回のその踏切ですが、何と京都最大の通り、四条通と山陰本線の交差するところ。この頃はまだ踏切だったんですねえ。
現在、京都駅から嵯峨駅(現、嵯峨嵐山駅)の間はすべて高架化されております。ですから、この踏切風景はわたしの想像なのですが、さほどの間違いは無かろう、と思われます。
二条城
二条駅のすぐ東側に位置します。
ホームに立てばまさに指呼の間。わたしは一度、内部を見学したことがあります。建物内も観覧できますので(残念ながら有料)近くにお越しの節はぜひ話のタネに……。
まあ、城としてはホントに規模の小さい、ほとんど屋敷と云ってもいいくらいなのですが(それは言い過ぎ)。
お、京都市街図のUP、ありがとうございます。
図中『西京病院』てのがありますが、そのすぐ北側を東西に走る大きな通りが『四条通』です。
この図の国鉄線路。二条まで北上しまして、現在大きく左にカーブを切ったところ。このあたりで、いわゆる京の都を出外れまして、嵯峨野に入ることになります。とりあえずの目的地は『嵯峨駅』ですが、この図にはまだ見えません。もう少し西になります。
窓を開けようとする道代、慌てて止める秀男
別に意地悪しているわけではありません。秀男が窓を開けさせない理由は、小まめ時代の国鉄事情をご存じの方には言わずもがな、ですが、そのあたりは次回のお楽しみ。
次回、三人は『嵯峨駅』に降り立ち、いよいよ本格的に嵯峨野話が展開することになります。乞う!ご期待。
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2. Mikiko- 2016/10/25 19:49
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国道
正式表記では、“線”は付けません。
「国道171号」が正しいのです。
↓逆に、県道や市道では、“線”を付けます。
http://reatips.info/kokudou-gou-gousen/
『Mikiko's Room』、勉強になるのぅ。
『二条城』。
修学旅行で行きました。
鶯貼りの廊下、歩きました。
侵入者を察知する警報装置と云われてます。
でも、わたしが歩いたときの正直な感想は……。
「建て付けが悪いだけじゃん?」でした。
↓実際は、偶然の産物だったようです。
http://kirei-yasetara.hatenablog.com/entry/2014/09/25/183438
わたしの感想の方が、当たってたわけですね。
窓の開く列車。
いいですよね。
今はもう、鈍行列車しか開かなくなりました。
ていうか……。
鈍行列車は、なぜ窓が開く必要があるんでしょう?
単に車両が古いだけ?
そのうち、すべての車両の窓が開かなくなるんでしょうか。
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3. 国土交通相HQ- 2016/10/25 23:14
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“線”なし国道
へええ、初めて聞きました。
そういえば、往年の歌謡界の帝王、フランク永井の歌う『夜霧の第二国道』。
♪バックミラーにあの娘の顔が
浮かぶ夜霧のああ第二国道
たしかに、第二国道“線”、とは歌ってませんね。
ちなみに、『第二国道』はもちろん国道2号の意ですが、実際はこの道は国道1号のことだとか。東京近辺の国道1号、2号はコロコロ名称が入れ替わったそうで、こういうややこしいことになったんだとか。
まあ、“ああ、だいいちこくどう”ではゴロが合いませんわな。
ちなみに、国道1号は起点が東京、終点がJR大阪駅にほど近い梅田新道(しんみち)交差点です。
さらにちなみに、現在の国道2号はこの大阪梅田新道を起点とし、旧山陽道に沿って延び、福岡県北九州市門司区を終点とする国道で、路線総延長は681.0㎞。この距離は全国道中、第5位だそうです。
国道2号。わたしはゲップの出るほど走りました。
二条城の鴬張り廊下
思ってたほどの音を立てなかったなあ。
もっと派手な音じゃないと意味ないじゃん、と思ったものです。
>実際は、偶然の産物
なるほど。納得です。
鈍行列車は、なぜ窓が開く問題
そういえば、窓の開く列車は長いこと乗ってません。
いつが最後だったか、記憶にないなあ
>単に車両が古いだけ
まさにその通りでしょうね。
クーラーのない時代には、窓は開くのが当たり前。夏場は、煙や煤が入ってこようが何だろうが、窓を開けっぱなして風を入れないと耐えられなかったでしょう。
まあ、それはそれで気持ちのいいものでした。
♪汽車汽車ポッポポッポ
シュッポシュッポシュッポッポ
………………
走れ走れ走れ
鉄橋だ鉄橋だ楽しいな
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4. Mikiko- 2016/10/26 07:37
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「第二国道」は……
「第二京浜国道」のことだそうです。
「京浜国道(国道1号)」のバイパスとして作られたのでこの名が付きましたが……。
今や「第二国道」が、正真正銘の国道1号です。
ちなみに、「新潟ー両津」「直江津ー小木」間の佐渡海峡を渡る航路は、国道350号に指定されてます。
田中角栄が、力技で航路を国道にしたんです。
これにより、佐渡島内に国道を延長することができました。
離島内で完結する道路だと、国道指定が出来ないのです。
佐渡の道路整備を、国のゼニで行えるようにしたわけです。
普通車でも、窓が開かなくなったのは……。
製造費用を下げる目的も大きいようです。
開閉できる窓と、閉め殺しの窓では、そうとう値段が違うみたいです。
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5. 国鉄総裁ハーレクイン- 2016/10/26 12:05
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♪第二国道……
は、正真正銘の国道1号。
へええ。
じゃあ、梅田新道-門司の国道2号のことじゃないのか。
残念!
国道350号
角栄道路ですか。
一時代を築いた方でしたなあ、田中角栄、目白の殿さま。
格安嵌め殺し
言われてみれば、です。
しかし、鉄道旅の楽しみは、どんどん失われていくんだなあ。もう『飲み鉄』しかないかな。
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6. Mikiko- 2016/10/26 19:44
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『夜霧の第二国道』
これって、酔っ払い運転でねえの。
開閉窓。
維持管理にかかる手間と費用も、馬鹿になりません。
ネジが緩んでないか、開閉のつまみがガタついてないか、スムーズに開閉できるか……。
これらのチェックを、全部の窓でやらなきゃならんのですよ。
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7. >窓、開けてえやHQ- 2016/10/26 23:56
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↑小まめの志摩子
>維持管理にかかる手間と費用
確かに。
そうか。だから、窓が嵌め殺しになったのか。
まあ、ええかげんな職員もおるようですが。
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8. Mikiko- 2016/10/27 07:22
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新幹線の車内清掃
「7分間の奇跡」と呼ばれ、世界中から注目されてるそうです。
7分間で、清掃員1人あたり100席にのぼるスペースの清掃を、完璧にこなすんです。
ハーバードビジネススクールでは、教材として取り上げられるほど。
新幹線を視察に来た外国人は……。
「新幹線そのものより、この清掃システムがほしい」と言うそうです。
日ハム。
2勝2敗ですが……。
決戦が広島になることを思えば、日ハムは今日勝って、ようやく五分というところでしょう。
大谷くんが、広島でリベンジ投球できるかどうかですね。
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9. 7分間の奇跡- 2016/10/27 17:28
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なんか、ドラマのタイトルみたい。
確かに新幹線は奇麗です。
在来線もこうあってほしいものです。
日本シリーズ
確かに、“大谷シリーズ”になってきました。
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10. Mikiko- 2016/10/27 19:48
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アメリカの記者さんが……
↓撮影された動画がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=kt92-ZDm-HM
広島は、中4日でジョンソンですね。
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11. SAYONARAHQ- 2016/10/27 23:03
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日本シリーズ第5戦
日ハム5-1広島で、日ハムが王手を掛けました。
試合の決着はなんと9回裏、日ハム西川のサヨナラ満塁弾。
これ以上劇的な幕切れは無いでしょう。
ということで、舞台は広島市民球場、
じゃなくてMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島に移ります。
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12. Mikiko- 2016/10/28 07:28
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同点で満塁弾
お釣りがあるのは、イマイチですね。
やっぱり満塁弾は、3点ビハインドからでなくちゃ。
広島の中崎投手は、前の打者にデッドボールを当てて乱闘寸前になりました。
動揺がなかったとはいえないでしょう。
ピッチャーを替えたいところでしたが……。
9回裏満塁じゃ、難しいですわな。
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13. お釣りは……HQ- 2016/10/28 11:26
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↑いくらあっても結構なものです
乱闘寸前
あの死球は、普段ならどうということのないものでしたし、打者も黙って一塁へ向かったでしょう。
やはり、日本シリーズという大舞台。両軍ともエキサイトしているようです。
今日の移動日(休養日)で、頭を冷やされるのがよろしかろう。