2016.10.18(火)
「ほうか、道。祇園が故郷か」
「へえ。そない思てます」
「ほうか……」
道代は、少し遠慮がちに問いかけた。
「姐さん……姐さんも、そないちゃいますやろか」
「せやなあ。もう、くに(故郷)離れて何年になるんか……たぶん、もう帰ることはないやろし、祇園がくに、ゆうてもええんかもしれんなあ」
秀男が話に入ってきた。
「姐さん。おくに(故郷)は……丹後でしたなあ」
「へえ、丹後半島ゆうんかなあ。日本海の海っぱたの村でなあ。道。あんたは兵庫の産やけど、うちは一応京都や。祇園との縁はあんたよりうちの方が深い」
秀男が、笑い混じりに声を掛けた。
「姐さん。お言葉でっけど、丹後ゆうたら京都府の北のはずれでっせ。祇園からの距離でゆうたら、お道はんとどっこいやないですかなあ」
志摩子は、秀男に誘われたように笑みを浮かべる。
「せやなあ。まあ、山と海の違いはあるけど、どっちも寒村ゆうてもええとこやろ。道、あんたが山猿やったら、うちは海猿やなあ」
うみざる、という耳慣れない言葉に、道代は思わず問い返した。
「うみざる、て姐さん。そないな言葉、初めて聞きました」
志摩子は、笑い混じりに答えた。
「そらせやろ。いま、山猿、から思いついたんや。うちの発明や」
三人の間に、再び賑やかな笑い声が生じた。
笑いながら、志摩子は思った。
(そないゆうたら……)
(京の祇園やなんて……)
(あの海っぱたの村には縁もゆかりもあらへん)
(それこそ名前、聞いたこともなかった)
(まあ、うちが知らんかっただけかもしれんけど)
(そこにいきなり、知らんお人がたん〔尋〕ねて来やはって)
(祇園の舞妓にならへんかあ、て)
(お父ちゃんもお母ちゃんも、ぽかんと口開けとるだけやった)
(ほんで……)
(そのお人とお父ちゃん、何や小声でごしょごしょしゃべってはったけんど)
(そのうちお父ちゃん。おまん、ちょと向こうい〔行〕とれ、て)
(言わはるけんど、うち〔家〕ん中は一間〔ひとま〕やし)
(お母ちゃんも入れた三人でほとんど一杯やし)
(隅の布団には弟が寝とるし)
(しゃあないから土間に下りたら、お父ちゃん……)
(もっと、むこ〔向〕いけ、て)
(外、出るしかないがな)
(もう、真っ暗やったなあ)
(さっきまで気にしてなんだ潮の音が急に大きなって……)
(曇ってたんか、空は真っ暗で、月も星も一個も無かったなあ)
(あれ、いつ頃のことやったんかなあ)
(そないに寒うは無かったけんど……)
(どんくらい外におったんか)
(お母ちゃんが戸ぉ開けて)
(入り、て)
(入ったら、もう話がみいんな出来上がっとった)
(あとは、うちに美味しそうな話しはるばっかしやった)
(喋りはったんは、あのたん〔訪〕ねてきやはったお人やったけんど)
(きれえなべべ〔着物〕きられる、の)
(ふっかふかのお布団で寝られる、の
(おいしいもん、いっぱい食べられる、の)
(まあ、それこそおいしい話ばっかしやった)
(ほんでも、話自体は嘘やなかったわけやけど)
(お父ちゃんも尻馬ん乗って)
(まるで竜宮城か極楽に行ける、みたいなこと言わはった)
(お母ちゃんはなあんも言わんと、じいっと俯いてはるだけやった)
(今おも〔思〕たら、みいんな相馬の旦さんのしく〔仕組〕まはったことやったんやろなあ)
(ほんで……支度金、とでもゆうんかなあ)
(お金、ようさん〔沢山〕もらわはったんやろなあ、お父ちゃん)
(うちはそのあたり、なあんも聞かされへんかったけんど)
(要するに、うちは売られた、買われたゆうことやな)
(まあ、それはそれでかめへんけど)
(お父ちゃんに文句ゆ〔言〕う気、こっから先もないけんど)
(これまで、ええ思いいっぱいさしてもろたし)
(ほんでもなあ……)
志摩子は、軽く抑える力を膝に感じた。今までどこを見ていたのだろう。目を膝に落とすと、道代の片手があった。正面に目を遣ると、気遣わし気な道代の顔が目の前にあった。
「ああ、道。どないしたん」
道代は、志摩子の膝から手を引き、上体を起こしながら答えた。
「どないて姐さん。あんまし長いことぼんやりしてはるもんやさかい、ちょと心配になりまして」
「ほうか、ほらすまなんだなあ。いやな、ちょと昔のこと思い出してもうてな」
「昔て……おくに(故郷)でのことどすやろか」
「まあ、そういうことやけんど……。なあ、道」
「へえ、姐さん」
「今まで聞いたことなかったけんど、あんた今んとこに奉公するようになったん、うちとちょうど同じ頃やったなあ」
「へえ。うちの方がちょと後やったかなあ、思いますけんどおんなじ頃どしたなあ」
「あんた、どないないきさつ(経緯)やったん」
「さあ……ようは知りまへんねんけんど、なんせうっとこは何ちゅうんですか、貧乏人の子沢山、でしたかいな。ちょと大きなったらそれこそ上のもんから順番に、ゆう感じで奉公に出されました。村んなかに、そういう世話しやはるお人がおったようで……」
「ふうん」
(ひょっとして道も……)
(相馬の旦さんの手引きなんやろか)
(考えられんことはないけんど……道はもちろん知らんやろし、考えてもしゃあないことやなあ)
志摩子は、これまでの思いを振り切るように、秀男に顔を向けた。
「秀はん。まだ着けへんのん。えーっと……たんばぐち、の駅」
「姐さん……」
秀男は半呼吸置いた。笑みを含んだ声で志摩子に答える。
「丹波口にはもう着きましたがな。で、ちょと前に発車しました」
「あれ、そうかいな。ぜんぜん気ぃ付けへんかったわ」
「なんや、えらい考え事したはったようでんなあ」
「ふん、大したことやないけんどな。なあ、秀はん」
「へい、姐さん」
「うちら今、どのあたりをどない走っとんのん」
「へい。今、線路のすぐ右には千本通、昔の朱雀大路が南北に通っとります。列車は、その千本通に沿って北へ向けて走っとりますなあ」
「ふうん、せんぼんとおり、すざくおおじ……」
「ご存じでっかいな、姐さん」
「いんや。今初めて聞いたわ」
「まあ、このあたりは祇園からはちょと離れてますからなあ」
無理もない、とは呑み込んで、秀男は言葉を継いだ。
「ほんで姐さん、次は二条駅ですわ」
「あ、二条は知ってる。二条通やろ。聞いたことある」
「うちも知っとります。二条の次が三条、で四条……」
「まあ、よっぽどのお上りさんでもない限り、京都に住んどって知らんお方はいやはらしまへんですやろなあ。いっちゃん北が一条、ほんで二条三条四条五条と下がって、六条七条八条……」
道代が小声で歌い始めた。
「ひっちょうさんてつとおりすぎ(七条三哲とおりすぎ)」
志摩子が続く。
「はっちょうこえればとうじみち(八条こえれば東寺みち)」
二人の歌声が重なった。
「くじょうおおじでとどめさす(九条大路でとどめさす)」
童謡『京の通り唄』である。これも誰知らぬ人とていない京の唄であった。
歌い終えた二人は目を見合わせ、転げるように笑いだした。まるで小娘の頃に戻ったような二人を、秀男はにこやかに見つめていた。
ややあって秀男は二人に語り掛けた。
「まあ、この唄は九条までですけんど、今はもひとつ南に十条通りが出来てますがなあ。唄は昔のまんまのようで」
「あ、そないゆうたら……」
志摩子が少し声を張り上げた。
「なあ、秀はん。さっき乗った市電やけんど、ひっちょのとおり(七条通)、通らんかったかいなあ」
「へい、通りましたなあ」
「ほんで、ひっちょ(七条)から曲がったらすぐ京都駅どしたなあ」
「へい、そのとおりですなあ」
「ほなら、京都駅のすぐ北側がひっちょ、ゆうことかいなあ」
秀男は顔を綻ばせた。利発な生徒を見る教師のような眼差しだった。
「そないどすなあ、姐さん。国鉄はんの線路は、京都駅近辺では東西方向に走っとります。で、北っ側から順にひっちょ(七条通)、国鉄、はっちょ(八条通)と並んどります。京都駅の南口出たらすぐ、はっちょですなあ」
志摩子は、「ふんふん」とうなずいた。今、秀男に教わった知識を、身に刻み付けるような仕草だった。
三人の耳に、カン、カン……と警報音が聞こえた。
山陰本線が、四条通と交差する踏切だった。
コメント一覧
-
––––––
1. ♪丸竹夷二押御池HQ- 2016/10/18 09:43
-
↑まるたけえびすにおしおいけ~
>うちは一応京都や
張り合っております、小まめ姐さん。
つまらないことにムキになっております。
このあたり、旅先の浮かれた気持ちがさせるのでしょうか。
まあ、旅と云いましても京都市内、時間も短いものですが、知らない街を行くという意味では歴とした旅。楽しんどくんなはれ、小まめ姐さん。
♪知らない町を歩いてみたい~
海猿
ご存じ、大ヒットテレビドラマのタイトルですが、もちろん小まめの時代にはまだ放映されていません。小まめの造語とお考え下さい。
今回、小まめの回想、祇園の舞妓になった経緯が語られますが、これだとほとんど人買いですね。実際にこんなことが行われていたかどうか……まあ、時代が時代(戦後数年、とお考え下さい)ですからひょっとして、とも思わせます。まあ、小まめの場合は「相馬の旦さん」の企みなんですがね。
京の通り唄
二度目です。
最初は、あやめが京都にもんて(戻って)来た時、鴨川べりを歩きながら口ずさみました。
今回は、小まめと道代の合唱です。
斯様に、京都人の口には膾炙しております。
この機会に、ぜひ覚えましょー。
-
––––––
2. Mikiko- 2016/10/18 19:46
-
京都と兵庫
この2府県は、日本海にも面してます。
京都府では、舞鶴市、宮津市、伊根町、京丹後市。
兵庫県では、豊岡市、香美町、新温泉町。
新温泉町とはなんじゃと思ったら、浜坂町と温泉町が合併したとのこと。
城崎温泉かと思ったら、豊岡市でした。
こうした日本海側の人たちは、県都方面に対してどういう感情を持っているんでしょうね。
甲子園に出ることも、ほとんど無いでしょうし。
わたしなら、かなり屈折しそうですが。
通り歌。
京都に住んでない人間が覚えてどうすんじゃ?
-
––––––
3. 姉三六角蛸錦HQ- 2016/10/19 00:51
-
↑あねさんろっかくたこにしき~(たこ、は野田太郎の蛸薬師通)
京都の海
え? 京都に海あんのん(あるの)? というお方は、こちらにもいらっしゃいます。認知度がどれくらいなのかは不明ですが。
>県都方面に対してどういう感情
おそらく……ですが、特に憧憬を抱いたりしないし、、反発を感じたりもないんじゃないですかね。
住めば都、地に足をつけた生活が一番です。
通り唄
京都を訪れたとき、迷子にならずに済むではないか。もともと、子供(大人も)を迷子にさせないために作られたんだし(たぶん)。
それに「こんなん知ってるでー」と周りに自慢できます。
-
––––––
4. Mikiko- 2016/10/19 07:38
-
日本海側
コウノトリで有名な、兵庫県豊岡市。
豪雪地だそうです。
年間降雪量は、312cm。
福井市(286cm)、金沢市(281cm)を上回る、西日本屈指の豪雪都市だとか。
ちなみに新潟市は、217cmです。
豊岡市の3分の2ですね。
さらに、豊岡市は盆地なので、冬は極寒、夏は酷暑。
わたしには、とうてい住めませぬ。
瀬戸内海側出身の県職員で、豊岡市に配属された人は……。
そうとう辛い思いをするんじゃないでしょうか。
気候的には、まったく別の地域ですよね。
-
––––––
5. ♪雪は降る~HQ- 2016/10/19 11:46
-
わたしが金沢にいたころ
記録的な大雪になった年がありました。
気象台の発表によりますと、平地での積雪量がなんと6メートル。
ホンマかいな、と言いたくなりますが、市街地では頻繁に除雪車を出すし、道路に融雪装置はあるし、でさほどにも感じませんでした。
この時、わたしの調査地(山間の沼沢地)でわたしが測ったところ、2メートルちょっとでした。まあ、ここはちょっとした盆地になってますんで、さほど積もらないんでしょう。
豊岡と云いますと兵庫北部の日本海側。
金沢を上回る積雪量、は凄いね。
しかし、どうしてもコウノトリの映像が頭に浮かんじゃうね。
-
––––––
6. Mikiko- 2016/10/19 19:45
-
北陸県都の年間降雪量
①富山市・383cm
②福井市・286cm
③金沢市・281cm
④新潟市・217cm
というわけで、北陸4県の県庁所在地では、新潟市が一番積雪量が少ないのです。
これは、山までの距離が遠いせいだと思います。
-
––––––
7. ♪海に降る雪はHQ- 2016/10/19 22:51
-
↑♪波間にのまれて跡形もなくなる (ジェロ『海雪』)
県都の降雪量
ほんとに、ネット上にはいろんなデータが転がってるんだなあ。
「年間」降雪量ということは、、常時の積雪量はもっと少ない、ということだよね。
「山までの距離が遠い」
なるほど。海からの雪雲は、新潟市街地を素通りしてしまうということですか。で、遠くの山肌に雪を降らす、と。
-
––––––
8. Mikiko- 2016/10/20 07:21
-
新潟市は気温が高いので……
根雪になることはありません。
積もっては解けてを繰り返しながら、春を迎えます。
新潟県で一番雪が降らないのは、佐渡なんです。
-
––––––
9. ♪雪の降るまちをHQ- 2016/10/20 08:37
-
暖かい佐渡
ああ、以前にも書きはりましたなあ。
暖流の影響でしたっけ。
しかし、積もって溶けての繰り返しでは、道路はぐちゃぐちゃでしょう。歩きにくそう。
まあ、アイスバーンでこける(ころぶ;わたし経験あり)よりはいいかな。
-
––––––
10. Mikiko- 2016/10/20 19:41
-
ぐちゃぐちゃって……
いつの時代の道路ですか。
江戸時代じゃあるまいし。
舗装道路には、水勾配というのが付いております。
解けた雪水は、勾配を下って側溝に排水されますがな。
-
––––––
11. ♪溶けて流れりゃHQ- 2016/10/20 21:51
-
↑♪みな同じ
水勾配ねえ
雪混じりの泥水。そんなにうまく流れるものですかね。
-
––––––
12. Mikiko- 2016/10/21 07:33
-
道路に降った雪に……
泥なんて混じってません。
洪水と間違ってません?
-
––––––
13. どろんここぶたHQ- 2016/10/21 12:05
-
↑A.ローベルの絵本
泥なし雪融け
ははあ、未舗装の道を考えていたようです。
舗装道路なら奇麗なものでしょう。舐めてもOKとはいかないでしょうけど。