2016.10.11(火)
国鉄山陰本線は、京都駅を出てしばらくの間、東海道本線と並行する。進行方向を向いて腰掛ける小まめの志摩子が自分の左手に見る線路は、この東海道本線のものだった。が。志摩子はそのようなことはもちろん知らない。
「なあ、秀はん」
志摩子は、自分の斜め前に座る秀男に声を掛けた。が、その顔は窓の外を向き、目は左手の線路をじっと見詰めている。
「へい、何ですやろ、姐さん」
「あの、隣の線路、どこへ行くんやろなあ」
「ああ、隣は東海道線ですさかい、大阪方面ですわ。もうちょっとしたらあっちは左、こっちは右に分かれますけどな」
「ふうん、大阪……」
「知ったはりますかいな、姐さん」
志摩子は、秀男を見返った。
「秀はん、うちはな。故郷(くに)の丹後。海っぱたの村出てこっちに来て以来、京都を一歩も出てへんがな。大阪てなとこ、行ったことも見たこともあれへん」
「はは、そうでしたなあ」
「賑やかなとこらしいなあ」
「まあ、戦前はそないでしたけんど、あの戦争で丸焼けにされてまいましたからなあ……。さあ、今はどないなっとりますやら。儂も長いこと行っとりまへんので」
道代が、遠慮がちに話に入ってきた。
「秀はん、丸焼けて……空襲ですやろか」
「せや、アメリカはんの爆撃やなあ」
「うちら子供やったし、山奥におったしで知りまへんねんけど、京都も焼かれたんどすやろか」
「おお、やられたで。京都はなんせ古い文化財がわんさとあるやろ。なんぼアメリカはんでもそこまではやらんやろ、言うとったんやけどなあ。
太秦やら西陣やら、何か所かやられたわ。西陣はえらかったらしいけどなあ。
死なはったお方もさあ、百人くらいはいはったやろか。まあ、祇園は大丈夫やったんやけどな」
「はあ……」
「まあ、大阪では一万人くらい死なはったそやさかい、まだましやった、とも言えるがのう」
三人の間に沈黙が下りた。
道代は軽く俯く。
志摩子は、改めて窓外に目を遣った。
秀男は、志摩子に誘われたように、道代の肩越し、窓外に目を遣った。
列車は順調に速度を上げて行く。それとともに、三人の体に左向きの力が加わった。右方向に曲線を描き始めた列車から加わる遠心力だった。
「曲がってってるんかいなあ、秀はん」
「そうですわ、姐さん。こっから北向きに方向、変えるんですなあ」
先ほど、駅を出外れたときとは比べ物にならないくらい明るくなった。ホーム以外の、さまざまな駅の施設のほとんどが後ろに過ぎ去ったのだ。穏やかな冬の、夕刻の陽射しが降り注ぐ。列車の進行方向は、緩やかに変わっていく。
志摩子は、冬の京の陽射しを正面から受け、目を細めた。その志摩子の目を、さらに強い光が射抜いた。いつの間にか数を増した、数え切れないほどの数のレールが、西に落ちかかる太陽を反射する光だった。
「まああー。道、見てみ」
「へえ、姐さん」
いったい、幾筋の線路が伸びているのだろう。その線路の多くは並行ではなかった。まるで、開いた舞扇の中骨のように、先広がりに伸びる数多くの線路。その要の位置は、もう既に列車の背後にあった。
「秀はん秀はん」
「へい、姐さん」
「あないにようけ(沢山)の線路が……あれ、みいんな大阪へ行くんやろか」
秀男は、幼い我が子がぶつけてくるような疑問の声に、穏やかに微笑みながら答えた。
「いや、姐さん。あれはみいんな貨物の線路ですわ。で、その先はすぐ行き止まり。貨物列車を仕分けしたり、整理したり、留め置いたりするための線路ですなあ。今は時間の関係でっしゃろ。ほとんど留まってへんようですけど」
山陰本線の線路わきに植えられた樹木が、貨物線路を覆い隠し始めた。三人の乗る列車は、緩やかな曲線をどこまでも曲がり続ける。貨物線路が視界を外れた。
志摩子は、我に返ったように、向かいに座る道代に目を向けた。
「なあ、道」
「へえ」
「さっきの市電もそうやけど、こうやって遠出すると、いろんなもん見せてもらえるなあ」
「そうですなあ」
「ほら今までかて、結構あっちゃこっちゃ出かけたけど、みいんな車で、やったもんなあ」
「そうですなあ」
「やっぱし、自分の足で、やないと見分広められんわなあ」
「そうですなあ」
「今後も、おかあはんに無理ゆうて、二人で出かけよなあ」
「そない……ですなあ」
(そないなお許し、出るやろか)
道代は、先ほど出かける時の騒ぎを思い浮かべた。すんなり許されるとは思えないが……と道代は思ったが、それは今は考えても仕方のないことだった。
列車が曲線を曲がり終えたのか、三人の体は再び軽く横方向の力を受けた。さらに速度を上げる……と思う間もなく、列車は逆に行足(いきあし)を落とした。三人は、今度は列車の進行方向に体を持って行かれる。次の駅が近付いたのだ。
「お、止まりますなあ」
「なんちゅう駅なん、秀はん」
問う志摩子に、秀男は律義に答えた
「『丹波口』、ですわ。丹波の国に、眼鼻の口と書きます」
丹波、と聞いて道代が問いかけた。
「丹波て……ほな、近いんでっか、丹波」
秀男は、笑い混じりに答えた。
「そういやお道はん。あんた、丹波の出やったなあ」
「へえ」
「ここのあたりは、京の都のど真ん中や。丹波の国はまだまだ向こう。第一、お道はん。あんたは丹波ゆうても兵庫の丹波やろ。あんたの採れたとこはもっとずうっと先や」
「そないでっか……ほんでも秀はん。『口』ゆうたら入り口出口、の口ですやろ」
「まあ、せやが。この場合の『口』ゆうのんは……。
昔な、京の都に『京の七口(ななくち)』ゆうのんがあった。その頃の京は、都全体がぐるうっと高あい土手に囲まれとってな。入り口が七か所あった。まあ関所ゆうことやな。その一つを『丹波口』ゆうたんや。つまり、丹波方面からの街道が京に入る、その入り口ゆうことや。駅の名ぁはその名残、ゆうことやな」
「へええ、そないどすか」
志摩子が、前に座る道代に、からかうような声を掛けた。
「なんや道。くに(故郷)が恋しなったか」
「なに言わはるんどすか、姐さん。うちのくにはもう京の、祇園ですがね」
少しむきになったような道代の口調に、志摩子と秀男はにこやかになった。
コメント一覧
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1. 嵯峨野線ガイドHQ- 2016/10/11 08:53
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道代、志摩子、秀男
三人の乗る、国鉄山陰本線(現愛称;嵯峨野線)の各駅停車の列車は、ようやく京都駅を発車しました。目指す駅は『嵯峨駅』。今回、初めの停車駅『丹波口駅』に到着です。
ここから先、沿線の車窓風景にさほど見るところはありません(一つだけありますが、これは次回のお楽しみ)ので、次回には『嵯峨駅』に到着できる予定です(お前のカラ手形は聞き飽きた)。
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2. Mikiko- 2016/10/11 19:47
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丹波
兵庫県に、丹波市がありますが……。
丹波の国は、もっと広範囲だったようです。
京都府や大阪府も含んでたみたいですね。
丹波と云えば連想するのが……。
やはり、『デカンショ節』でしょう。
この歌があるがために、『丹波=ど田舎』のイメージが出来てしまってます。
実際のところは、どうなんでしょうね?
やっぱり今でも、人と猿が半々に住んでるような所なんですか?
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3. ♪あとの半年ゃHQ- 2016/10/11 20:58
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↑♪寝て暮らす ヨーイヨーイデッカンショ
丹波の国
ご指摘の通り、京都府と兵庫県にまたがりますがそうか、大阪府も含みますか。こういう、複数の都道府県にまたがる国は、その範囲がも一つよくわからないんですよね。
まあ、そのほとんどは京都と兵庫であることは間違いありません。それぞれ京都丹波、兵庫丹波(道代はここの出です)などとも称されるようです。
で、人と猿が半々はともかく、丹波がど田舎であることは間違いありません(丹波の方、ごめん)。道代も、京に出てきた当初は、山出しの子ザルだったんでしょう。
♪丹波~篠山(ささ~やあま)山家(やまが)の猿が~
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4. Mikiko- 2016/10/12 07:38
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大阪府の丹波
↓高槻市の一部(樫田地区)も丹波だと書いてありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E6%B3%A2%E5%9B%BD
以前、ちょうど今ごろでしょうか……。
新潟県の胎内市に、研修に行ったことがあります。
刈り入れの終わった田んぼを、車で通りかかったのですが……。
畦のそこここに、小さなおじいさんが座ってるのです。
何ごとだろうとよく見たら……。
それはすべて、猿でした。
あのあたりでは、明らかに人より猿が多いと思います。
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5. 丹波の守ハーレクイン- 2016/10/12 12:17
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高槻市樫田
市の最北部、山中の山村ですね。途中の道路は川沿いのワインディングロード。市バスも通っていますが、さあどのくらいかかるかなあ。1時間?
料金は「山間料金」ということで、1,000円くらい取られます。
さらに北へ。“国境の短いトンネル(鉄道じゃないけど)”を抜けると京都府亀岡市。嵯峨・嵐山もほど近く、というところです。
大阪府の最北部、能勢・豊能地域(今、ごみ問題で神戸市と揉めているところ)も丹波だったそうです。
胎内市の猿
ホンマかあー、と言いたくなるね。
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6. Mikiko- 2016/10/12 19:43
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胎内市
中条市と黒川村が合併して出来ました。
この黒川村の、伊藤孝二郎という村長が傑物でした。
昭和30(1955)年(31歳)から、平成15(2003)年(79歳)まで、ほぼ半世紀(48年)の間、村長を勤めました。
病を得て村長を退いた翌月に亡くなってます。
まさに、黒川村に捧げた生涯でした。
伊藤村長の亡くなった2年後、黒川村は中条市と合併し、消滅しました。
わたしの見た田んぼは、まさしく旧黒川村の領域です。
明らかに、人より猿の方を多く見かけましたよ。
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7. 命名権ハーレクイン- 2016/10/12 21:07
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胎内市
以前から、妙な市名だなあ、と思っていましたので、この機会に調べてみました。
Wikiによりますと……
「市内を流れる胎内川に由来」
で、当然胎内川を調べます。
①「アイヌ語の『テイ・ナイ(清い川)』、または『トイ・ナイ(泥の川)』を語源とする説」
ははあ、アイヌ語ですか。なるほど。しかし“清い”と“泥”では全く逆だと思いますが、如何。
別説として……、
②「扇状地では伏流水となり、河口付近で再び現われる事からの連想で『胎内』とついた」。
これはちょっと苦しいですね。
わたしとしましては①に1票ですが、“清い”と“泥”のどちらであるかの判断は、現場調査のうえ決めたいと思います。
人<猿問題
別に、疑っているわけじゃないんだけどね。
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8. Mikiko- 2016/10/13 07:24
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胎内川
13世紀には「太伊乃川」と表記されてたそうです。
“胎内”は、後の世の当て字じゃないですか。
従って、②はボツですね。
“清い”と“泥”。
その両面があったでしょうね。
つまり、普段は、『テイ・ナイ(清い川)』。
上流に大雨が降れば、たちまち『トイ・ナイ(泥の川)』。
毎日、信濃川を見てますが、まさしくこのとおりです。
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9. ♪川は流れる~HQ- 2016/10/13 10:57
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太伊乃川
一瞬、木乃伊かと思っちまった。
「たいのがわ」ですかね。で、胎内。
ふむ。
清濁併せ呑む(ちょっと違うぞ)
外面如菩薩、内面如夜叉(全然違うって)