2016.10.4(火)
「蒸気機関車、ゆうんやけどな」
秀男は、隣に座る道代に言葉を継いだ。
道代は、鸚鵡返しに応える。
「じょうき、きかんしゃ……」
「せや。石炭燃やしてな、ほれで湯ぅ、沸かすんや」
「お湯を……」
「せや。おまはんも沸かすやろが、薬缶で、湯ぅ」
「へえ……」
「で、湯ぅ沸いたら、注ぎ口から湯気、出るわなあ」
「へえ、勢いよう、出ますわなあ」
「あの湯気、蒸気、ともゆうんや」
「じょう、き……」
「せや。ほの、蒸気の力で走るわけや。しやから、蒸気機関車、ゆう」
「じょうき、きかんしゃ……」
道代は、ふと、今のように鸚鵡返しに秀男に答えたことを思い出した。
(あれは……)
(あれは確か……)
(せや)
(もう、どんくらい前になるのんか)
(あの、小まめ姐さんが家出しやはった時……)
(鴨の土手におって)
(秀はんが見つけてくれはって……)
(ほの、帰り道……)
(確か……※八坂はんのこと、おせ(教え)てもろた)
※八坂(やさか)神社
(あんときもこんな風に……)
(秀はんの言葉をなぞるだけやった)
(ほれで)
(八坂はんのこと、覚えたんやった)
道代は、もう今では遙かに遠い昔のことに思える記憶を、鮮やかに思い返した。
(せや)
(あん時)
(いつか八坂はんにお参りしよ、て思たんやった)
(忘れとった)
(ころっと忘れとった)
(あかんあかん)
(秀はんに、あんとき、教わった)
(八坂はんは、祇園の守り神さんやあ、ゆうて……)
(こら、あかん)
(こら、罰かぶるわ)
(よっしゃ)
(こんお座敷から戻たら)
(おかあはんと姐さんにお許しもろて)
(お参りに行こ)
(必ず、行こ)
「さっき、出てったやろ。あの貨物列車」
道代の夢想は、秀男の言葉で破られた。改めて秀男に聞き入る。ふと目を上げると、前の志摩子もじっと聞き入っているようであった。
「あ、へえ。あの、いろんなんが繋がっとった……」
「せや。人やのうて荷物を載せる。ああいうのんを貨物列車ゆうんやけどな」
「へえ」
「あの、先頭におったん、覚えとるか」
「あ、へえ……あの、真っ黒けの、ごつい……。なんや、てっぺんから煙、吐いとりましたけんど」
「せやせや。あの煙はやな、石炭燃やした残りかすやな」
「へええ。あれ、中で石炭燃やしとるんでっか」
「せや。ほんで、やっぱし中で湯ぅも沸かしとるわけやな」
「へえええ。なんや、薬缶載せたストーブみたいやなあ」
秀男は、満面に笑みを湛えた。実際、軽く笑い声をあげる。
「お、上手いことゆうのう、お道はん。薬缶載せたストーブてかい。確かに、ほのとおりや。蒸気機関車の、あの真っ黒けの胴体は、ストーブで、ほんで薬缶ゆうこっちゃのう」
秀男は、心底(しんそこ)楽し気に、軽く上を向いて、再び笑い声を上げた。
つられたように、道代と志摩子もにこやかに笑う。
三人の座る四人掛けの座席に、少しの間笑い声が続いた。
「ほな秀はん。うちらの乗っとるこれも、いっちゃん先頭にはあの真っ黒けがおる、ゆうことかいな」
志摩子が秀男に問いかけた。
答える秀男。
「そうですわ。そいつの燃やす石炭の匂いが、ここまで来とる、ゆうことですなあ」
「ふううーん」
道代と志摩子は、合わせるように同じ言葉を漏らした。
ストーブと薬缶に引っ張られる。考えもしなかったイメージが、二人の中に出来上がっていったが、もちろん道代と志摩子のイメージはそれぞれ異なるはずであったろう。
先ほどの、貨物列車が出発時に鳴らした汽笛。それと同様の音が遠く聞こえた。
「お、出るようでんなあ」
秀男の言葉とほぼ同時、騒がしい音とともにかなり大きな衝撃が三人に伝わった。先行する蒸気機関車に引かれた客車が受ける、出発時の衝撃だった。
物体というものは、動いている物は一定の速度でいつまでも動き続け、静止しているものはその場で静止し続ける。ただし、その物体に何の力も加わらない時、という条件が付く。アイザック・ニュートンの唱える、運動の第1法則。いわゆる慣性の法則である。
三人の乗る車輌は、直接には進行方向寄りの隣の車輌に、間接的に先頭の蒸気機関車により、力を受けた。これまで静止していた車両は、その力により静止状態から運動状態に変化する。平たく言えば、機関車に引っ張られ、進行方向に動き始めた。
力を受けている間は、物体は等加速度運動を続ける。ニュートンの第2法則である。
三人の体は、その力を感じることになる。進行方向に背を向けている道代と秀男の体は前のめりになった。志摩子は逆に後ろに、背凭れに体を押し付けられた。背の、だらりの帯が拉(ひしゃ)げる。志摩子は体に力を込め、前のめりに、背凭れから背を離した。
汽笛が再び響いた。
絶え間なくぶつかり合う連結器の騒音の中、その汽笛は確かに三人の耳に届いた。列車は、ぎくしゃくとしながら、国鉄京都駅の山陰本線のホームに沿って速度を上げて行く。ホームには人影はない。ホームの屋根を支える柱。絶え間なく行き過ぎてゆくその柱達(たち)だけが、見送り人のようであった。
視界が開けた。窓の外が一気に明るくなった。列車がプラットホームを出外(ではず)れたのだ。先頭を行く蒸気機関車は、三度(みたび)汽笛を鳴らした。
道代と志摩子、秀男の乗る旅客列車は、次第に速度を上げながら西へ、大阪方面に向かって進んで行く。
志摩子は、窓の外、自分の左手方向に目を遣った。隣接する線路は三本、四本……。先ほどのホームの柱と同様に、線路を支える枕木や砕石が飛ぶように行き過ぎてゆく。しかしレールは。
どこまでも並行に伸びる二本の鉄の道は、全く変化しない。いや、実際には変化しないどころか、これも絶え間なく行き過ぎてゆくのだ。だが緻密に、厳密に敷設された鉄の道は、志摩子の眼にはまったく変化しない道に見えた。
コメント一覧
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1. ♪線路は続くよHQ- 2016/10/04 11:44
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長引いております
小まめと道代、それに秀男が加わっての道行? 嵯峨野行です。
今回、秀男講師の蒸気機関車解説がありまして、ようやく三人の乗る山陰本線の列車は京都駅を発車しました。
まあ、作者といたしましては、蒸気機関車の詳しい構造、細かい容貌などを書きたかったところですが、そんなことをしていてはいつまでたっても出発できません。思い切ってしゅっぱあつ、進行でございます。
次の停車駅は『丹波口』。目的の『嵯峨野駅』にはさあ、いつ辿りつくことでしょうか。
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2. Mikiko- 2016/10/04 19:51
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ひと駅ずつ……
解説するつもりですか。
まさか、1回ごとに1駅じゃないでしょうね。
何か事件が起こると面白いのですが。
道代が、便所に落ちるとか。
昔の撮り鉄は、ウンコまみれだったんでしょうね。
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3. 『鉄道員』HQ- 2016/10/04 22:42
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↑1956年のイタリア映画
監督・主演:ピエトロ、ジェルミ
1回ごとに1駅
現在、思案中です。
なんなら、2,3回で一駅という手も……。
なんせ、あやめと久美を大文字に上らせたときは、途中の駅をほとんどすっ飛ばしたからなあ。
>何か事件が……
考えときます。
けど、先に大事件が待ってるしなあ。
♪野を越え山越え 谷越えて……
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4. Mikiko- 2016/10/05 07:35
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事件
嵐山だけに……。
嵐寛寿郎が乗って来るというのは如何?
鞍馬に行こうとして、汽車を乗り間違えたんですね。
で、秀男が、鞍馬への道筋を指南する。
喜んだ勘十郎は、秀男に鞍馬天狗の頭巾を贈る。
かぶり方もその場で教授する。
感激した秀男は、その頭巾をかぶったまま。
そこへ、勘十郎を探してた映画会社の人が、秀男を勘十郎と間違え……。
太秦で無理やり下ろされる。
で、一緒に付いてきた志摩子が、女優にスカウトされる。
どないだ?
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5. 血煙高田の馬場HQ- 2016/10/05 11:41
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嵐山……
と云いますか、嵯峨に大河内山荘があります。
ご存じ、大河内傳次郎の別荘で、見学できます。
最寄駅は嵐電『嵐山駅』ではなく、JR『嵯峨嵐山駅』でもなく、嵯峨野観光鉄道『トロッコ嵐山駅』です。
ということで、登場するなら丹下左膳ですね。
さらに、小まめ当時、国鉄山陰線にまだ『太秦駅』はありませんでした。
ついでに『嵯峨嵐山駅』は、『嵯峨駅』でした(前々コメで『嵯峨野駅』としたのは間違いでした)。
これは推測ですが、小まめの当時、嵐山や嵯峨野は閑散としたもの。今のように観光客で溢れかえる、なんてことはなかったでしょう。まあこの辺りは、いずれ近いうちに書かせていただきます。
今回の嵯峨野探訪。色々見落としがありました。
出来れば、近いうちに再訪したいと思っています。
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6. Mikiko- 2016/10/05 19:34
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嵯峨野
修学旅行で、自由見学の日に歩いたような気がします。
直指庵とか。
化野念仏寺は、どうだったかな?
数人で回ったのですが、お昼時になり、お店に入ることになりました。
美味しそうなサンドイッチ屋さんがあったのですが……。
ひとりが、「京都らしいものが食べたい」と言って抵抗。
結局、探し回って釜飯のお店に入りました。
味は、まったく覚えてません。
釜飯が「京都らしい」かという議論は、発生しませんでした。
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7. トロッコ列車HQ- 2016/10/06 00:42
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直指庵、化野念仏寺
名は知っていますが、行ったことはありません。
次の嵯峨野探訪で訪れることは……まあ、無いでしょう。
道代と志摩子を、そんなにあちこち引き回すわけにもねえ。
修学旅行で行ったとこなんて、覚えてないよね
わたしが覚えているのは……
小学校、伊勢二見が浦の夫婦岩。
中学校、国会議事堂内部。
高校、長崎グラバー亭。
あとは、夜の枕投げ。
峠の釜飯
は、上州群馬、信越本線の横川駅の駅弁が発祥だそうです。
さあ、京都にあったかなあ。
♪京都嵯峨野の直指庵~
(たんぽぽ『嵯峨野さやさや』)
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8. Mikiko- 2016/10/06 07:22
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枕投げ
実際に行われてたことなんですか。
わたしのころは、1度もありませんでした。
ほかの部屋でも無かったと思います。
駅弁の釜飯は美味しそうですよね。
ビールのアテに良さげです。
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9. 釜めし投げHQ- 2016/10/06 08:24
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枕投げ
小学校から中学まで、必ずありました(さすがに高校ではなかったです)。
小学校の林間学校でもやったなあ。
最後は、センセに怒鳴り込まれてお開き。
地域限定文化なんでしょうか。
釜めしが美味しい
全く異論はありませんが、車窓風景も味付けになってるんじゃないですかね。
しかし、ご飯ものをアテにしますかねえ。ましてビール。おなかパンパンになるのでは。
あ、上の具だけ食べるのか。
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10. Mikiko- 2016/10/06 19:49
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ご飯もの
前にも書いたと思いますが……。
わたしは、コンビニおにぎりをアテに飲みます。
上の具って……。
釜飯は、具が均等に混ざってると思いますが。
海鮮丼と間違ってません?
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11. 海鮮釜飯ハーレクイン- 2016/10/06 22:27
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おにぎりをアテ
太るぞー。
具が均等
そうだっけ。
長いこと食べてないからなあ、釜飯。
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12. Mikiko- 2016/10/07 07:37
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駅弁の『峠の釜めし』を画像で探したところ……
具が上に載ってました。
失礼いたしました。
自宅で『釜飯の素』で作る釜飯と混同してたようです。
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13. 寿司職人ハーレクイン- 2016/10/07 11:12
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釜飯の素
昨日から……
なぜか釜飯、じゃなくて無性に寿司が食べたい。
まあ、回転寿司に行くか、スーパーのパックを買ってくればお手軽なのですが、今日は自分で作ってみようと思います。何にするかな。
ちらし寿司はお手軽そうですが、具を揃えるのが結構大変。
巻き寿司、稲荷……やはり握るか。
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14. Mikiko- 2016/10/07 12:55
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寿司って……
酢飯から作るんですか。
そっちの方が面倒そうです。
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15. 寿司職人2HQ- 2016/10/07 14:40
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もちろん
酢飯から作ります。酢飯なんぞ売っとりませんがね。
小型(直径27センチ)の寿司桶、持ってます。
飯に酢を混ぜる時の最も大事なポイントは、風を送って湯気を飛ばすこと(♪なじかは知らねど)。
子供のころ、母親が酢飯を作るときは、団扇で煽がされたものです。出来上がる寿司(巻き&稲荷)を思い描き、ワクワクしながら、ね。
母親は「ほれ、しっかり煽ぎや」とか言いながら、右手にしゃもじ、左手に酢の瓶。酢を振りかけながらしゃもじで飯を返してました。
わたしは誰も仰いで、いや煽いでくれません(家人は知らん顔)ので、扇風機を使います。
面倒と云えば面倒ですが、それが楽しいんですがね。料理って、そんなもんでしょ。
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16. Mikiko- 2016/10/07 19:03
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湯気を飛ばすわけ
つまり、水分を飛ばしてるということでしょう。
ベタベタしなくなるんじゃないですか。
しかし、寿司というのは、元々ファストフードでした。
寿司を自宅で作ろうと考える江戸っ子は、いなかったんじゃないでしょうか。
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17. 江戸っ子ハーレクイン- 2016/10/07 21:54
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べたつかない寿司
まあ、そういうことですね。
自作寿司。
先ほど、と言いますか、今食べてます。
味は……まあ、こんなものでしょう。
家人に、いくつかパクられました。
>寿司を自宅で……。
いやあ、何かの時代もので、出入りの若い衆が、そこの女将さん手作りの稲荷寿司を振る舞われる、というシーンがありました。
まあ、お話ですがね。
それにしてもファストフード、長いこと食べてないなあ。美味いのはわかってるんだけどね。
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18. Mikiko- 2016/10/08 07:52
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以前にも書きましたが……
寿司職人の手は、寿司を握る前、徐々に温度が下がるんだそうです。
家を出るときは、常人と同じ温かさですが……。
店に着くころには、次第に温度が下がってて……。
板場に立ったときには、氷のように冷たくなってるんです。
手が温かいと、酢飯がくっつきやすいうえ、ネタを痛めてしまうからですね。
いなり寿司。
起源は意外に新しく、天保年間の終わり(1844年)とか。
家庭料理ではなく、ファストフードとして売り歩かれたようです。
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19. 寿司職人3HQ- 2016/10/08 11:49
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手の温度
考えたことなかったなあ。
そこらのお母ちゃんもそうでしょう。
まあ、家庭料理なら、少々温度が上がっても、関係ないよね。
天保稲荷
なるほど。
“お稲荷さ~ん” (売り子の掛け声)