2016.9.23(金)
そのフィルムを見て、衝撃を受けた司馬は、↓のように書いてます。
「亀田郷では、昭和三十年ごろまで、淡水の潟にわずかな土をほうりこんで苗を植え(というより浮かせ)、田植えの作業には背まで水に浸かりながら背泳のような姿勢でやり、体が冷えると上へあがって置けの湯に手をつけ、手があたたまると再び水に入るという作業をやっていたことを知った」
↑背泳のような田植え。たぶん、司馬が見た映像だと思います。水ではなく泥の中ですから、大変な重労働です。
「映画を観了(みお)えたとき、しばらくぼう然とした。食を得るというただ一つの目的のためにこれほどはげしく肉体をいじめる作業というのは、さらにそれを生涯くりかえすという生産は、世界でも類がないのではないか。
映画では、潟の水の中へほうりこむ土も、陸地から採ってくるのではない。田舟を漕ぎ出して、爪のような道具に長い棹(さお)をつけ、潟の水底から掻きとって舟に揚げ、舟にわずかに土が溜まると、田(といっても渺茫(びょうぼう)たる水面だが)へ持って行って、ほうりこむのである」
↑「客土(ジョレン掻き)」の様子。舟の吃水が水面ギリギリになるまで土を積みます。恐ろしい作業です。
「爪のような道具に長い棹(さお)をつけ」という道具が、ジョレンのことです。
亀田郷の農民は、「自分は地獄に生まれてきたのか」と呻きながら、生きるために、泥に浸かり続ける生涯を送ったのです。
↑客土を自分の田に入れてる様子。女性のようですね。ひょっとしたら男は、客土を積んだ舟を女性に渡すと、空舟に乗り換えて、また鳥屋野潟に向かったのかも知れません。
さて、すっかり話が外れてしまいましたね。
亀田郷の話を始めると、どうもブレーキが外れてしまいます。
話を戻しましょう。
どこまで書いたのか、すっかり忘れ返ってしまいました。
『仕立屋』の後に、原っぱの土管でしたよね。
そうそう。
原っぱ→コウモリ→新潟には洞窟がない。
なぜなら、『砂の町』だから。
で、砂質土の土壌改良→客土。
ここから、鳥屋野潟での「客土」作業に話が進んだんですね。
あー、しんど。
↓土管の次に撮ってある写真は、これでした。
↑「み」
これは明らかに、トイレの汲み取り口です。
↑こういう柄杓で汲んだようです。ホームセンターで、まだ売ってるんでしょうか?
どうしてこういうのばかり撮るのか、われながら謎です。
建物の外観も室内も、まったく撮ってません。
画像の撮影時間を見ると、土管から1分しか経ってません。
ひょっとしたら、また仕立屋に戻って、汲み取り口だけ撮ったのかもしれません。
ほんとに、この人の写真の撮り方には困ったものです。
現場に行って、注意したいほどです。
↓次の写真は、これ。
↑「み」
「亀田郷では、昭和三十年ごろまで、淡水の潟にわずかな土をほうりこんで苗を植え(というより浮かせ)、田植えの作業には背まで水に浸かりながら背泳のような姿勢でやり、体が冷えると上へあがって置けの湯に手をつけ、手があたたまると再び水に入るという作業をやっていたことを知った」
↑背泳のような田植え。たぶん、司馬が見た映像だと思います。水ではなく泥の中ですから、大変な重労働です。
「映画を観了(みお)えたとき、しばらくぼう然とした。食を得るというただ一つの目的のためにこれほどはげしく肉体をいじめる作業というのは、さらにそれを生涯くりかえすという生産は、世界でも類がないのではないか。
映画では、潟の水の中へほうりこむ土も、陸地から採ってくるのではない。田舟を漕ぎ出して、爪のような道具に長い棹(さお)をつけ、潟の水底から掻きとって舟に揚げ、舟にわずかに土が溜まると、田(といっても渺茫(びょうぼう)たる水面だが)へ持って行って、ほうりこむのである」
↑「客土(ジョレン掻き)」の様子。舟の吃水が水面ギリギリになるまで土を積みます。恐ろしい作業です。
「爪のような道具に長い棹(さお)をつけ」という道具が、ジョレンのことです。
亀田郷の農民は、「自分は地獄に生まれてきたのか」と呻きながら、生きるために、泥に浸かり続ける生涯を送ったのです。
↑客土を自分の田に入れてる様子。女性のようですね。ひょっとしたら男は、客土を積んだ舟を女性に渡すと、空舟に乗り換えて、また鳥屋野潟に向かったのかも知れません。
さて、すっかり話が外れてしまいましたね。
亀田郷の話を始めると、どうもブレーキが外れてしまいます。
話を戻しましょう。
どこまで書いたのか、すっかり忘れ返ってしまいました。
『仕立屋』の後に、原っぱの土管でしたよね。
そうそう。
原っぱ→コウモリ→新潟には洞窟がない。
なぜなら、『砂の町』だから。
で、砂質土の土壌改良→客土。
ここから、鳥屋野潟での「客土」作業に話が進んだんですね。
あー、しんど。
↓土管の次に撮ってある写真は、これでした。
↑「み」
これは明らかに、トイレの汲み取り口です。
↑こういう柄杓で汲んだようです。ホームセンターで、まだ売ってるんでしょうか?
どうしてこういうのばかり撮るのか、われながら謎です。
建物の外観も室内も、まったく撮ってません。
画像の撮影時間を見ると、土管から1分しか経ってません。
ひょっとしたら、また仕立屋に戻って、汲み取り口だけ撮ったのかもしれません。
ほんとに、この人の写真の撮り方には困ったものです。
現場に行って、注意したいほどです。
↓次の写真は、これ。
↑「み」
コメント一覧
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1. ネタは足で稼ぐHQ- 2016/09/23 09:23
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どぶね農業
土舟、でしょうか。
聞きしに勝る、というも愚かですね。
「地獄に生まれてきたのか」
これは以前に聞かせていただきましたが……。強制された人生ではないだけに、よけいに迫ります。まあ、ある意味強制されたとも云えるのかもしれません。
「地獄さ行ぐんだで!」は、小林多喜二『蟹工船』
迷走Mikiko
まあ、これはいつものことですが。
>この人の写真の撮り方には……
“この人”って、どの人だあ。
今日は、久方ぶりの京都取材です。
まだ雨が残っていますが、雨天結構、いや決行。
今日行かんと締め切りに間に合いません(なんか、プロ作家みたい)。
出がけに資料を揃えたり、準備不足はいつものことですが、おかげでネタを一つ考え付きました。備えなければ憂いなし。
明るい内に切り上げるつもりですが、こればかりは取材先次第ですね。
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2. Mikiko- 2016/09/23 11:50
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亀田郷については……
↓『亀田郷土地改良区』のページをご参照ください。
http://www.kamedagou.jp/kmd/index.html
ちなみに、『亀田郷土地改良区』のビルは、まさしく「どぶね農業」が行われてた低湿地に建ってます。
このビルと、エントランス前の舗装との間に、1メートル近い段差ができてるんです。
ビルは、岩盤まで杭を打ってますから沈みません。
でも、周りの舗装には、もちろん杭など打ってありません。
つまり、アスファルトを載せただけで、地面が沈むんです。
枯れた葦などが厚く堆積してて、スポンジのようになってるそうです。
『この人を見よ(ニーチェ自伝)』。
“この人”ってのは、4ヶ月前のわたしですね。
なんと。
次の回の取材に行くんですか。
それで、平日に行けないんですね。
呆れ果てたスケジュールです。
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3. 取材は終わったHQ- 2016/09/23 17:55
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↑喜劇は終わった
>平日に行けない
意味わからん。
今日は平日ですぞ。
>呆れ果てた
と言われても、今日しか行けなかったんだからしょうがあるまい。
いやあ、色々ありましたが今日はクタクタ。
詳しくは後日。
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4. Mikiko- 2016/09/23 18:29
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休日の谷間は……
平日とは云えませんでしょ。
旅行する人は、当然休みを取るでしょうから。
今日の京都は、それでも26度あったんですね。
新潟は、21度でした。
ものすごーく、良い作品を期待しております。
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5. ルポライターHQ- 2016/09/23 22:36
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休日の谷間……
は、平日ではない。
ほう。
日本の休日法(そんなのあるのか)は、いつ変更になったのかのう。
胸の谷間……は、結構なものですが。
まあともあれ、詳しくは後日書きますが、まあすごい人出でした。
良い作品
が良い取材から生まれる、とは必ずしも言えないんだよね、これが。
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6. Mikiko- 2016/09/24 07:32
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すごい人出というのが……
平日ではない証拠です。
現地を見るのは、諸刃の剣でもあります。
見なきゃ良かったということも、なきにしもあらず。
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7. 夢想花ハーレクイン- 2016/09/24 11:35
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>見なきゃ良かった
まあ、予想はしてましたがねえ。
なんせ、小まめ時間は昭和30年頃ですから、到底当時の面影はありません。変わっていないのは道路と線路の通り方くらいでしょう。
あとは寺社仏閣でしょうか。
そこから、どういう風景を描き出すか。
苦慮しております。